g_03.gif エリーシア戦記

...Record Of Ariesia War...


[back.gif第六十章] [本棚] [next.gif第六十二章]
第61章 雲蒸龍変


【神聖紀1233年4月】
 ――パールの森。
 パルディア王国のあるバイパール半島は、ハンマーのような形をしている。頭部に当たる部分に、王都テリムがあり、まとまった平野を抱えている。また、柄の部分は、細長い山脈が東西に横たわり、平地は海岸線に僅か張り付いているだけで、そこを湾岸街道が縫うように走っている。
 この山脈の南斜面、ドネール湾側を、エルフ族の住む『パールの森』が、覆い尽くしている。
 その森の中、一陣の風が、木々の間を駆け抜けていく。実体は見えない。かすかに枝が揺れて、ふわりと舞い落ちる木の葉が、踏んだ痕を表している。
「……」
 華奢で小柄な身体が、零れ日の中を軽やかに跳び、僅かな衝撃しか与えずに、枝の上に飛び移った。
 爽やかな空色のジャンパーミニスカートを着て、同じ色の短髪を、金色の髪留めでしっかりと分けている。その下に長い耳が伸びていた。
 エルフの女戦士は、素早く繁みに身を隠して、巧みに気配を殺した。
「……まいたか?」
 振り返って辺りを探り、小さく息を吐きながら呟いた。
「あっ」
 その時、不意に、脚に冷たい感触が食い込む。
「しまった!」
 鎖が脚に巻き付き、強烈な力で引っ張られた。踏ん張り切れずに、地面へ叩き落とされてしまう。
「くくく、エルフの女か」
 カリハバールの軽装な鎧をまとっている男が、鎖をやおら手繰り、にやりと呟く。
「うっ……!」
 エルフ女は、受身を取ることもできず、強かに背中を打ちつけた。息が詰まり、手足が石のように固まる。
 カリハバール兵は、ゆっくりと歩を進めてきた。
「娘」
 低い声で問う。その目は、乱れた髪の下、苦痛に歪む美貌と、捲れたスカートから覗く、細く白い太腿を凝視している。
「すべてを話してもらうぞ」
 凶暴な欲望と殺気を含んだ笑顔を明け透けに晒す。そして、鎌を振り下ろして、首筋に押し当てた。
「その長い耳をそいでやろうか、え?」
 黄色い歯を開いて、黒い舌で耳の先を舐める。
「それとも、ちっこい乳を削ってやろうか?」
 野太い指が、服の上から乳ぶさを撫でる。
「だが、その前に!」
 そして、力任せに服を引き千切った。
「きゃあ」
 エルフ女は咄嗟に薄い胸を隠す。その白い肩がわなわなと震えていた。
「ひぃひぃひい」
 卑猥な笑いが森にこだました。


 ――ヘルト要塞。
「うぐっ…ぐがぁ…うぐぅ…ンンっ…あっ……」
 女は喉をペニスで塞がれて、呻き声を鼻から漏らしていた。しかし、喉を甚振る刺激は、熱い濁流となって、脳を叩き、矜持を決壊させて、大粒の涙となって瞳の淵を飾っていく。
 緩やかに窪んだ天井に、川面に反射した月の明かりが当たり、ゆっくりと揺らぎながら流れ川のさざなみを、淡く繊細なタッチで映している。
 ベッドの上では、二匹の獣が睦み合っていた。上弦と下弦の月のように互いの頭を逆方向へ向けて横たわり、互いの性器を愛撫し合っている。互いの体は火照り、汗に濡れて、咽るような淫臭を立ち昇らせていた。
「ああっ! ま、またっ! あん! あん!」
 オーギュストが、膣穴の奥へ舌を差し込み、ずずっと音を立てて蜜を啜った。
「やっ! いっ、くっ、うううん!」
 女は我慢し切れず、ペニスを吐き出すと絶叫する。そして、シーツの擦れる音を鳴らして、海老のように仰け反った。
 女の名は、シュザンナ。バラム公オットー3世の末娘である。修道院に入っていたために、一族滅亡の危機を逃れる事ができた。
 その後、バラム地方は、オーギュストの直轄地となっていたが、公家再興の嘆願のために、この日、彼女は、オーギュストを訪問した。
 オーギュストは、初めて会ったシュザンナを、有無を言わせずに抱いた。彼女は目が細く、鼻も大して高くない。然程美人とはいないが、ただ大事に育てられた証なのだろう、笑顔が爽やかだった。
――これは獲物だ!
 獲物は、狩り尽くし、貪り尽くさねばならない。昂ぶる捕食者の魂が、そう叫んでいる。
 オーギュストは腕を伸ばして、シュザンナの首を掴む。その柔らかな喉笛に喰らい付き、引き裂いてしまいたい衝動に駆られていた。
――精霊が活性している。闘いが近い!
 肌は常に粟が立ち、戦場独特の緊張感を敏感に感じ取っていた。
 太腿を小脇に抱えて、それまで浅くゆっくりと動かして、槍先を甘い汁で潤していたが、不意に、強く深く打ち込んだ。
「うぅぅぅんんん!」
 シュザンナは、首をねじって枕に顔を埋め、下唇を強く噛み締めた。必死にあられもない呻きを押し殺そうとした。
「あっ…あっ…あっ…あっ…あっ…あっ…あっ……」
 しかし、どうしても、艶声が、揺れる胸の動きに合わせて、リズミカルに洩れてしまう。
 衝き叩かれるたびに、膣穴に甘く疼くような刺激が生じる。それらは、波のように何度も何度も押し寄せて、喉の奥から淫靡な色に染まった重い息となって吐き出される。
「ああっ…ああっ…うっ…くっ…だめっ…ま…また…ああああああああっっ!!」
 一つ喘ぐごとに、一つ感覚が鈍っていく。それは道徳感や貞操感さえも蝕むようで、もはや快楽に溺れるのに、理性の歯止めさえ利かない。快感に瞳が揺れ、唇から力がだらしなく抜けて、ふしだらな涎が一筋零れる。
「ひっ…ひぃぃぃぃ! ああ…すっ…すごいッ! あぁぁぁッ!!」
 ああ、悦楽に溺れていく……、と惚ける思考の中で、ようやくそれだけが思い浮かんだ。


 ――セリア。
 セリアの人々は、ドラゴンを恐れて、火を使うことさえ控えていた。湯を沸かすにも、金属の電気抵抗を利用するほどだった。
 その所為で、町は、首都建設以前の荒野に戻ったように、深々とした静寂に包まれていた。
「ドラゴン……」
 メルローズは、不安に胸が押し潰されそうになっていた。
 その名を口にするだけで、空恐ろしくなり、全身が冷え切り、動悸だけが強く高まっていく。
「なのに、あの方は……」
 オーギュストは、正々堂々と戦うと言う。どれほどの精神力であろうか、推し量れば量るほど、畏敬の念がつのっていく。きっとひとり暗闇の中で、瞑想を続けて戦意を高めていることだろう、とメルローズは想像した。
 今、メルローズは、独り居間の壁に飾られた小さな女神像に、祈りを捧げていた。
 しかし、ただ女神に祈ることしかできない自分を不甲斐なく思う。いっそ前線へ慰問に出かけるべきでは、と考えたが、足手まといになる姿を思うと体が止まってしまう。
 そこへ、北辺出陣の挨拶に、フリオが訪ねてきた。
「反乱軍というのは掴みどころがなく、思うように働けませんでしたが、今度はドラゴンが相手です。存分に力が発揮できるでしょう」
 言う事を言って、紅茶をすする。
 二人は水槽に面したソファーに腰掛けて、巨大な鯉を眺めながら、しばし歓談した。
「そうですか。北辺へ行かれますか」
 メルローズはソファーに浅く腰掛けて、遠い目をした。
「はい、ヘルト要塞です」
 紅茶を飲み干すと、フリオはうっとりとメルローズを見た。
――僕のことを心配している!
 天にも上る気持ちである。これほどの優しさを持った女性を見た事がない。ミカエラ、アポロニア、そして、ナーディア、彼の周囲にいる女性は皆癖がありすぎる。
――よし、プロポーズしよう!
 今、この女性を強く嫁にしたいと思っている。姉にそれとなく相談してみると、良き縁談だと賛同してくれた。
『今やスピノザ侯爵家は、天下第一の大貴族です。実力、格式から言っても、他に相応しい相手が要るわけがない。是非、貰いなさい。わたくしから、上帝陛下に進言致します。きっとお喜びになられるでしょう』
 この言葉に、勇気が全身に漲った。
「じ、実は……」
 フリオは、震える手をポケットへ忍び込ませる。
「……」
「侯爵閣下、どうしました?」
「……」
 緊張が臨界点を突破して、頭の中が真っ白になった。しばらく、自分が何処にいて、何をしようとしているのかさえ忘れてしまう。固く握った物に込められた思いも、思い出せない。
「わたくしに、できることがあればよいのですが……」
 メルローズは、長い沈黙の中で、目の前のフリオのことを意識の外へ飛ばし、オーギュストへの哀感で心を浸し切っていた。
――ああ、可憐だ……。
 その物悲しげな目付きを見て、フリオはまた深い陶酔の中へ沈んでいく。そして、ふと、胸から零れ落ちそうな、二つの膨らみを発見する。これが垂れては世界の損失だと、灰色がかった頭脳でぼんやりと思い、全男性の代表として、支えてやれねば、と唐突に強い使命感に目覚めた。
 そして、徐に両腕を下から伸びして、玉を掬い上げようと掌を返した。
「……」
 メルローズは、何も気付かず、遠い空を思い続けている。
「ゲッ!」
 その時、水槽の水面が烈しく揺れて、水飛沫が舞い上がった。立ち上る白い水の影から、
巨大な鯉の尾鰭が現われて、フリオを叩いて、その体を壁へ吹き飛ばした。
「まァ……なんてこと。閣下、申し訳ございません」
 メルローズは慌てて立ち上がり、両手で口を押さえた。気絶しそうな思いで、深く謝罪する。
「いえ、お構いなく……」
 壁は丸く窪み、蜘蛛の巣状のひびがみっしりと刻まれている。その蜘蛛の糸に囚われた虫のように、フリオは壁にめり込んでいた。そして、弱々しく首を横に振って、蚊の泣くように呟いた。
「鯉に……じ、時代が変わった…ようだ……」
 フリオが生きていることを確認すると、メルローズは、視線を水槽へ向けて、儚げに微笑んだ。
――お前も、何かしたいのですね。あの方のために……。


 ――ヘルト要塞。
 夕刻、意味ありげに赤い夕日が、西空の底に押し潰されたように沈んでいく。
 オーギュストは、主殿の一室で、ひとり白い紙に向かっている。薄く暗い机の上を鮮やかなオレンジ色が斜めに差し込む。その上へ、一本黒い線を引く。
「ほォ……」
 インクの切れた烏口の先を念入りに見詰めて、指先でなぞる。
「んっ……」
 足元には、サーシャが体を屈めて机の下にもぐり込み、正座して、口唇奉仕を行っていた。先端をペロペロと舐めてから、丁寧に溝をなぞり、それから、深く加えて唇で優しく挟む。
「んっん……」
 激しく顔を前後に振り、根元から先端までをしごく。その間にも、舌を這わせて、急所を的確に刺激していく。口内一杯のペニスがぴくぴくと蠢くと、顔全体に恍惚とした法悦の輝きを浮かべた。
 その時、ドアが叩かれて、ファルコナーが入室する。
「大広間に、皆様、揃われました」
「ああ」
 答えて、烏口を置く。それから、「この職人を呼べ」と言い残して、部屋を出た。
 オーギュストの部屋から、大広間に行くには一度地下に潜らなければならない。オーギュストは専用の階段を登って、左右に中級以下の武官が平伏する大広間に入る。奥に黄金の扉があり、そこを潜ると、右に折れている。これまでとは違い、豪華な装飾が施された部屋で、主要幹部のみが入室を許される。
「よく間に合ってくれた。また禿げたか?」
 数段高い玉座に坐る。
「……」
 サイアから到着したゴーティエ・デ・ピカードは、寡黙な男らしく、一言の感想もなく、その頭をきびきびと下げる。
「ロードレス勢はどうした?」
「アフロディース様は、セリア滞在中につき、リューフ将軍とともに参上されます」
 アレックスが答える。
 オーギュストはパルディア王国首都テリムの陥落を知ると、視察を中断して、アレックスの手勢とともに、このヘルト要塞へ直行した。ヘルト要塞は、国境付近では最も規模の大きな要塞で、湾岸街道から北に少し外れたところにある。
 そのヘルト要塞には、パルディア王国からの亡命将軍マウリッツ・ド・ルクレールが、城代を務めて、故国との国境を警備していた。
 これに、フェルディアのライラ、カイマルクのロックハート、そして、トラブゾンのルートヴィヒ、ホーランドのデルロースが駆け付け、この日サイアからピカードも到着した。
「そのリューフは?」
「アーカス勢の到着を待って、セリアを出発されます」
「遅いな」
 カタカタと脚をゆすり、不満げに呟く。
「召集に応じない者は、戦後、一族郎党皆殺し手にしてやる」
「それから、スピノザ侯爵は怪我のために、出陣不可能とのことです」
 唖然として、そのまま岩のように硬くなってしまう。
「ドラゴンは逃げませんよ」
 幕僚のベアトリックスが腰を屈めて、そっと耳打ちした。これにようやくオーギュストは深く息を吐いて、肩の力を抜いた。
 オーギュストの傍らには、彼女の他に、刀根留理子、ルイーゼ・イェーガーがいた。
「ルートヴィヒ」
 オーギュストは、亡き親友の子の名を呼ぶ。
「小手調べしてこい」


【4月中旬】
 両軍の先遣部隊が、湾岸街道の脇で激突した。
 指揮官は、ルートヴィヒ・フォン・ディアン男爵。約1300の戦力を有して、勢力圏境を越えて、バイパール半島で哨戒行動を行っていたが、予想以上に、カリハバール軍の先遣部隊が前進していて、思わぬ遭遇戦となってしまった。
 ルートヴィヒの前を、慌ただしく士官たちが駆け巡っている。
「敵兵は推定500。森を背に布陣」
「前哨部隊は、すでに戦闘状態にあり」
「全軍、戦闘隊形へ」
「敵矢、着弾」
「反撃開始」
 次々に報告と指示が、定められたマニュアルに従って飛び交う。ルートヴィヒは、ただ無表情にそれを眺めていた。
「殿」
 家老の一人が、静かな声をかける。
「始まりますぞ」
「ああ」
 ルートヴィヒは、ふてぶてしいほど冷静に答えた。
 序盤は、矢の応酬が続く。間断なく射撃が繰り返されたが、数で勝るディアン軍が、次第に優勢を確保していく。
 その時、ルートヴィヒの耳に、馬の嘶きが聞こえた。僅かに首を動かして見る。これが開戦以降初めて姿勢を崩した瞬間だった。
「……ッ」
 その瞳に、騎兵の熟練兵たちが、そわそわと騎乗する姿が映っている。
「騎兵を前へ」
 ルートヴィヒが鋭く命じる。
「はっ」
 直ちに、伝達されて、一気呵成に騎馬部隊が駆け始めた。
 まさに絶妙のタイミングだったろう。カリハバール軍の防御線が崩れかかる瞬間であり、打って出た騎兵に対して、矢の反撃はない。忽ち、カリハバール陣に肉薄する。
 一歩遅れて、ようやくカリハバール騎兵も陣から出てきたが、構わず「吶喊!」と騎兵隊長は突進した。陣形も整わぬカリハバール騎兵を圧倒する。
 その時、ルートヴィヒの目の端で、ちらちらと赤い影が揺れる。再び視線を動かすと、黒い槍の群れがだらだらと揺れる中で、朱槍が鋭敏に真直ぐと伸び上がっている。
「……ッ!」
 ルートヴィヒは、目を見開いて立ち上がると、絶叫した。
「槍隊、押し出せ!!」
 全軍が怒涛の波の如き突撃を開始した。
 その気迫に押されたのか、カリハバール軍は、防御線を放棄して、呆気なく壊走し始めた。
 見事な勝利である。
 ルートヴィヒの司令部は、沸き返っていた。しかし、ルートヴィヒは笑顔一つ見せずに、司令部内の全員の顔を舐めるように見詰めていく。
「……?」
 そして、最初に声をかけた家老の顔の上で、視線が止まった。家老は、カリハバール軍の敗走路である森を見詰めて、漠然とした不安に表情を曇らせている。
「……!」
 ルートヴィヒは、弾かれたように顔を上げた。
「全軍、攻撃中止。深追いをするな!」
 烈しい声で命じた。ディアン軍は、追撃を止めて、後退して陣形を整える。
 その間に、カリハバール軍は辛うじて森へ逃げ込んでしまう。
「何故追わん! みすみす手柄を取り逃がしたではないか?」
 司令部に前線の各部隊長から非難の声が集まってきた。そのほとんどは、不満な感情を隠さず、若いルートヴィヒの判断を慎重過ぎるとした。中には公然と、「父親に劣る」となじる者までいた。
 対して、ルートヴィヒは泰然として、「稀代の英雄たる父に劣って何が悪い」と胸を張った。
 その時、従軍魔術師が「命が、命が……」と泣きながら森を指差した。
 森から、無数の悲鳴が溢れ出た。そして、異様な風が周辺に吹き荒れた。それは生温かく、むせ返るように血生臭かった。
「何事か!?」
 風が止み、その耳を塞ぎたくなるような凄惨な声が途切れると、ルートヴィヒは偵察を放った。それらは帰ってくると、「森の中に二千を越えるカリハバール兵の死骸が転がっている」と報告した。
「……エルフの仕業です」
 震える声で、従軍魔術師が告げる。


 森の中の小さな廃屋に、よろよろと先日のカリハバール兵が入って行く。くせ毛の髪は乱れて逆立ち、シャツのボタンは一つずれて留めて、ズボンから片方が零れ出ている。あの勇猛な姿はもはや何処にもない。目はどろんと酔い、口はだらしなく開かれて、はぁはぁと狂ったように音を鳴らして息をする。
「ああ……切ない。切な過ぎる。胸が苦しい……狂いそうだ」
 男は、薄暗い中で、床に転がる籠に躓いて、転んだ。そして、犬のように四つん這いになって這い回り、四方の暗闇の中へひとり懇願した。
「俺は約束を果たしたぞ。後生だから、姿を見せておくれ」
 目に涙を浮かべて訴える。
「ここよ」
 屋根裏に上る梯子のような階段に、あのエルフ女が坐っていた。優雅に頬杖をつき、むき出しの脚を組んでいる。
「ああ、わが女神よ。私が提供した情報は正しかったはずです。早くご褒美を下さい」
 男は膝で進んで、その脚にすがりつく。その手を、エルフ女は無慈悲に蹴り払った。
「勝手に触るんじゃない!」
「ああ、申し訳ございません」
 男は埃だらけの床に額をこすり付けて謝り、すすり泣いた。
「いいわ。ご褒美を上げましょう」
 エルフ女は、声色を和らげて、片脚を上げた。
「ううう……ああ」
 短いスカートの中を垣間見て、男は餓える者の如く身震いした。そして、ベルトを引き千切らんばかりに外すと、ズボンを脱ぎ捨てた。はち切れんばかりに膨張した一物は、擦り過ぎて血が滲んでいる。
 男は、エルフの女の上に圧し掛かり、前戯などなくいきなり挿入する。
「うおおお!」
 まさに熱狂の雄叫びである。忽ち忘我の彼方へと魂が翔ける。その次の瞬間、男は急に胸を押さえた。
「うっ!」
 口から泡を吹き出し、しばし肢体を痙攣させると、ばたりとエルフ女に凭れるように倒れた。
 エルフ女は、乱暴に男を蹴り飛ばした。そして、仰向けてなった男を、薄笑いを浮かべて見下ろす。
 破れた屋根から月光が差し込み、男を淡く照らす。男はピクリとも動かない。呼吸さえしていない。しかし、その死に顔は、恍惚に輝いていた。


 ――ヘルト要塞、城下町。
「アナフィラキシーショック?」
 ランが、カレーのスプーンを咥えたまま首をかしげた。
「そう」
 テーブルの向かいに坐るヤンが頷く。
 ヤンとラン、そして、香子の三人は、蚤の市の一角にあるオープンカフェで昼食のカレーを食べている。
 香子の髪型は、前髪を目の上ギリギリに切り揃えたボブカットなのだが、横に柔らかな丸みを持たせ、毛先が自然にカールして内側に収まっている。色もややブラウン色に染まり、キュート感を出しながらも大人っぽい雰囲気になっていた。とてもじゃないが、軍の官舎の散髪屋でカットしたものではないだろう。
 一方のランは、枝毛だらけの長髪を、無造作に後ろで束ねただけである。軍の官舎の散髪屋にさえ半年は行っていないだろう。
「抗原となる物質が体内に入ると、体内で抗体が作られ、2度目の時に、急速で強い反応を起こす場合がある」
「ああ、あれね……」
「あるある……」
 ランと香子が口をぽかりとあけて軽い笑顔で、何度も頷く。
「だから――」
 その時、通りがかったアンが、ヤンの肩越しに手を伸ばして、テーブルの上の桃を取った。綿のバックの中には、幾種類かの果実酒が入っている。彼女はどれだけ呑んでも酔った事がなく、鋼鉄の肝臓を持つ女として知られている。
「蜂に二度刺されると死んだりするでしょ。あれと同じよ」
「だから知ってるって」
 ランは口を尖らせて抗議したが、テーブルの下で、メモ用紙にいそいそと『エルフ=ハチ』と記入した。
「あら、そうなの」
 アンは、やや疑うように斜めに見ながら、桃を一口かじった。
「どうせ、エルフは羽があってブーンと飛ぶとか、お尻に針があって刺すとか、そんなこと考えて……これ甘いわね!」
 予想外の桃の美味さに、思わず、喋っていたことさえも忘れて絶叫した。
「エルフの店で買ったんだ、それ」
「……」
 ヤンが告げると、アンは無言で、かじった跡をじっと見詰めた。そして、急激に顔色を悪くする。
『エルフとのセックスは、至高の快楽を得られる。しかし、一度交わった者は、さかりのついた犬のように、二度目を欲して狂気に陥る。そして、二度目に交わった時、その者は死ぬ』
 朝のブリーフィングで厳重な注意が行われた。故に、良い兵士の皆さんは無闇にエルフに近づくな、と警告文は続いた。
「大丈夫。桃は普通だよ」
 ヤンは笑った。
「分かっているわよ。ランとかかわり合い過ぎて、性格悪くなったんじゃない?」
 声の怒気を抑え切れずに、アンは強い口調で言い放つと、桃を左右のポケットに一つずつつめて大股で歩き去る。
 そして、十歩ほど歩いて、両肩を落としてとぼとぼと歩くナンとぶつかった。
「ちょっと何処見て……隊長。どうしたのです? 顔が真っ青ですよ」
「べ、別に、俺は生まれながら貧乏だから……」
 そう言い残して、またふらふらと歩き出す。まるで幽霊のように10cmほど浮いているように見えた。
 アンは腰に手を当て、眉を寄せて怪訝そうに見送った。
「でも――」
 今度は香子が口を開いた。
「それじゃエルフは、命がけでセックスしているわけ?」
 素朴な口調で問う。
「まァエルフは特異体質なのだろ」
 ヤンは冗談ぽく答えた。
「だから、あのエルフ王は、エロ力53万の大師匠にも生意気なのかァ」
 香子は納得顔で、ポンと一つ手を叩いた。


――ヘルト要塞、主殿。
「何しろ力があり余っているんだ。ちょっとやりすぎてしまうかもしれん。くっくっく、エロ力にしたら百万以上は確実か?」
 オーギュストが膝立ちすると、首を左右に動かして関節を鳴らした。その眼下では、ダーライアが白目を剥いて手足を痙攣させている。彼女を残して、ベッドを降りて、付随するシャワールームへ向かう。
 オーギュスト用に改築された主殿で、セリア風の気品漂うインテリアで統一された、リビング、会議室、複数の寝室などをシンプルにまとめられている。
 豪快に頭からお湯を浴びると、ファルコナーが、幕僚から面会の申し出があると告げる。オーギュストは、リビングに通すように指示した。
「ご苦労」
 ガウンを着て、頭を白いタオルで拭きながら、リビングに出てくると、幕僚の刀根留理子、ベアトリックス、ルイーゼの三人がいた。
「エルフの情報を何処まで信じてよいのか、判断に困ります」
 オーギュストはソファーに凭れるのを見計らって、ベアトリックスが口を開く。
 先程、エルフから使者が来た。羽根付き帽子の下から長い耳が伸び、若葉色のマントに白銀に近い黄金の髪が垂れていた。あまりに眉目秀麗過ぎて、水色の瞳が、極めて冷酷に感じられた。そのエルフ男は、カリハバール軍の配置を細かく教えて帰って行った。
「信じてよいのでは? エルフ軍に我々を謀る余裕はないでしょう」
 ルイーゼがベアトリックスを横目で見ながら言う。
 エルフ王アルトゥーリンは、精鋭を率いてパールの森に布陣している。ドラゴンを自らの手で全滅させると凄い意気込みである。しかし、オーギュストと共闘する気はまるでないらしく、これまで連絡を一切とっていなかった。
「エルフは狡猾です。現に、ルートヴィヒ殿を巻き添えにして、魔術を発動させる気でした」
 再び、ベアトリックスが言う。
 カリハバール先遣部隊は、偽装の敗走でルートヴィヒを誘い込み、森に伏した部隊で奇襲しようとしていた。この策略を読み切り、エルフ軍は、カリハバール先遣部隊が集結する場所を想定して、大規模魔術の罠を仕掛けていた。
 もし、ルートヴィヒが追撃を中止しなければ、全滅していた事は間違いないだろう。この行為からも、エルフ軍に友好の精神があるとは到底言えない。
「ああ、アイツは頑張った。冷眼で見、冷耳で聞いている」
 オーギュストは、ビールのジョッキに手を伸ばした。
「父親を超えるぞ、あれは」
「陛下、今はエルフの事を話し合っています」
 ベアトリックスは、表情を崩さず、張り詰めた声で言う。それは他の二人も同じで、絶えず研ぎ澄ました眼光で、視線を交差させていた。皆、軍人として前線の緊張を持っている。
「エルフ族は、論理的で自制心が非常に強い」
 ルイーゼが言うと、
「暴力的で効率のみを優先する」
 ベアトリックスが返した。
「戦歴を紐解けば――」
 そして、刀根留理子が加わる。
「形勢が不利と見れば友軍と雖も容赦なく見捨てた事例が多い。これらから……」
「猜疑心が強く、偏執的とさえ言える」
「感情を抑制して、合理的に行動している」
「私の意見が途中だしたが、情報部ではエルフ族を、自主自立して、王への忠誠心が強いと結論付けている」
 三人は一歩も引こうとしない。要約すると、ルイーゼはエルフに好意的であり、逆に、ベアトリックスは批判的である。そして、刀根留理子は、客観的な情報をより多く把握している。
「エルフ王は実直で生真面目だと聞く」
 ルイーゼは強く言う。その王が親征しているのだから、エルフ軍を信用してもよいと主張する。
 オーギュストは、しばらく三人の議論を、ビールを飲みながら聞いていたが、突然無様に吹いた。
「あれは、融通の利かないガキだ。おまけに、悪質な負けず嫌いときている」
 呪いの言葉のように、口の端を歪ませて、毒々しく言う。
「おそらく、竜騎士のバヤジットは、陣頭に立っていると思っていたのさ。文字通り、全兵の中で一番先頭にね。だから、先頭集団を魔法で全滅させた。しかし、そこにバヤジットが居らず、今パニックになっているのだろうよ」
「そこまで、あれでは……」
 ルイーゼが、困惑したように眉間を寄せる。もしそうだとすれば、同盟軍として機能しないばかりか、振り回される心配もしなければならない。
「うんにゃ!!」
 オーギュストは眉の端をむくっと持ち上げると、腕組みをして、鼻息を荒くする。脳裏に、プラチナの長い髪、光り輝く白い肌、そして、深碧の瞳を思い浮かべて、イライラがこみ上げてくる。
「何れにしても、我らを囮にしようとしているのは明白でしょう。ここは様子を見ましょう」
 ベアトリックスが長い髪をかき上げながら、特に感情を昂ぶらせる事もなく、平然とした声で言う。しかし、この一言が、実質的な勝利宣言であり、エルフの件は、これで一区切りついた。
「しかし、案外、バヤジットも、戦力が不足しているようですね」
 刀根留理子が失笑しながら呟き、話題を転じた。
「ええ、竜騎士を押し出して、一気に勢力境界を越えてくると思ったが、慎重な」
 ルイーゼが同意する。
「やはり、我々をバイパール半島に西部まで引き込んで、起死回生の一撃を、と考えているのでしょう」
 そして、ベアトリックスが予測する。
「違うな」
 その時、オーギュストが楽しそうな声を上げた。
「奴は本気で俺を倒して、尚且つ、中原まで攻め込むつもりなんだよ、ふふふ」
 たまらず、身震いしてしまう。
 独力でドラゴンを手名づけた稀代の英傑が、今、その全身全霊をかけて挑んでくる。これほどの喜びが他にあろうか。軽やかにいなして、頭を撫でてやるのもよし、越えられぬ壁として立ち塞がり、完全な絶望を与えてやるもよし。
「血が騒ぐわ!」
 マグマの如き勢いで、血潮が体中を流れていく。血管は、まさにはち切れる寸前だった。その血を注がれた筋肉は、今にも火を吹きそうなほど熱く烈しく漲り、肌を上気させて玉のような汗を浮かび上がらせていく。
――まだだ、まだ早い!
 馳せる戦意を、必死に鞘の中に収める。
「お前達で、鎮めよ」
「はい」
 三人は、徐に後ろを向き、ソファーに膝をついた。
 インナーに詰め襟の黄色いシャツを着て、白い軍服は、肩を覆う大きな襟があり、アシンメトリー(左右非対称)のフロント合わせで、縁にネイビーブルーの装飾が施されている。そして、肩には、参謀肩章が燦然と輝いていた。
 ベアトリックスとルイーゼは、スリットが入ったタイトスカートに、腰を黒革のベルトで縛り、脚を黒いガーターストッキングで引き締めている。
 そして、留理子はセンタープレスパンツをはいて、脚を長く美しく見せている。
 三人は並んで、ソファーの背凭れに顎を乗せて、双臀を丸ごとオーギュストに向けて突き出す。どれも熟成した豊かな丸みを湛えている。
 三人とも同じアルティガルド出身だが、毛並みは違う。ベアトリックスは貴族出身で超エリートのAWであり、ルイーゼは士官学校主席卒の生粋の軍人で、留理子はワ国から亡命者の末裔で隠密集団のリーダーだった。その三人が今同様に尻を並べている。
「はぁ……」
「うう……ん」
「ああン……」
 三者三様の尻を、まるで透明の衣でもあるように、そっと柔らかく撫で回す。とことん開発された肉丘である。忽ち、どの割れ目から蒸れた汁気が滲み出て、白い太腿の上で、きらりと星の輝きを見せる。
 まず中央のベアトリックスの二つの肉の前に立つ。脚の長くて、尻の位置が一段高い。しっかりと閉じた膝が、よりいっそう美脚を際立たせている。
「ううん、あぅんん」
 蜂を連想させるように、細い腰から急激に膨らんで、はち切れんばかりである。
「あうっ……いいわっ……」
 掴めば、指に吸い付いてくる。まるで最高級の霜降り肉のように、蕩けそうな手触りだった。もはや一刻の余裕もない。双球を強く左右に開き、一気に腰を押し込む。
「あ…っんんっ」
 ベアトリックスは、膣口が広がる感覚に、全身を支配される思いがした。
「んんっあっ!」
 じりじりと熟した柔肉が抉られて、背に漣のような震えが走る。
「ああっっ、いい!!」
 最深部に到達すると、美貌を真赤に上気させて、被虐の感情が滲んだ、悦びの声をあげる。
 まさに至高の一体感である。さらに固く膨張しようとする巨槍の脈打ちを、繊細な柔肉がはっきりと感じ取る。そのリズムに、いつしか心臓の鼓動までも同調させて、切れ切れに喘ぎまくる。
「あっ! あっ! あんっ! ああんっ! あああっ!」
 そして、襞という襞がくねくねとうねり、巨槍をぎゅっと締め付けていく。
「さすが、アルティガルドが誇る名器だ。いい具合だぞ」
 オーギュストはほくそ笑むと、軽くパンチパチンと尻タブを叩いた。
「いくぅ、ああーっ……!」
 痛みは、脳裏で火花となっている。狂おしくよがりながら、蓬髪の海へと突っ伏す。
 その光景を両脇で、ルイーゼと留理子は指を咥えて眺めていた。次はどちらか、と期待しながら尻をゆすり続ける。
「ああ、あたしをお使い下さい」
「いいえ、あたしを先に」
 二人は自らの指で、秘唇を割り開く。捲られる二枚の唇は、熟れたアケビの実に似ている。
 オーギュストは、ルイーゼの尻へ手を伸ばした。程よく脂が乗り、悩ましくハート型に張り出している。ゆで卵のようにつるつるで、つきたての餅のような柔らかさと弾力を秘めている。
「ひぃ」
 いきなり、ルイーゼは頭の天辺から突き抜けるような声を上げた。
 オーギュストは腰を叩きつけるように、一気に打ち込む。忽ち、尻肉が鞠のように弾けて波打った。
 その声で快楽の海辺をさまよっていたベアトリックスが我に返り、首を横に寝かせて、妖艶な微笑をルイーゼに向けた。
「素敵よ、ルイーゼ」
 小さく呟くと、手をシャツの中へ差し込む。オーギュストの烈しい攻めに、まるで嵐に漂う小舟のように荒々しく左右に振れていた胸を鷲掴みにした。焼きたてのパンのようにふっくらとした肉である。指先はふわりと馴染んで、心地良く包み込む。
「ああン」
 胸を揉み解されて、ルイーゼは身悶える。そして、烈しく頭を振り、怪しく腰をくねらせる。
 ベアトリックスは、耳の後ろの髪をすくう。項に朱が射して艶やかに美しい。そして、赤々と染まった耳たぶを一舐めする。
「あ〜ぁ、熱い。からだが燃えるぅ」
 ルイーゼは、うわごとのように囁く。
 オーギュストの分身を体内深く感じると、まるで二人分の体温を抱いているようであり、否応なく全身が熱く火照ってしまう。
 さらに繰り返されるピストン運動は、まるでふいごで空気を送り込むように、身体の芯を益々高温で燃焼させていく。
「あぁっ、あっ、やぁっ、熱いのぉ」
 ルイーゼは、脳まで犯す淫靡な炎に苦しげな顔を浮かべる。そして、総身をくたっと弛緩させる。尻がソファーへ落ち、脚がずるりと床へこけた。熱に魘された身は次第にベアトリックスの方へ傾いていく。
「あ、アン」
 ベアトリックスは火の玉のような唇を奪い、美味しそうにしゃぶった。
 そして、オーギュストは留理子へ移動する。
 留理子の尻は、腰の括れからの反りが見事である。まるで腰で折り畳まれたように柔軟で、そして、筋肉が強く張り締まっている。
「ンンっ……おおおう」
 打ち込むと、忽ち、獣が絶息するような唸り声を張り上げた。
 二人分焦らされた後であり、クリトリスはルビーのように赤く充血し、膣口は蠢いて欲情の汁を垂れ流している。
 慣れ馴染んだ巨槍を呑み込むと、瞬時に背筋をぐーんと反り返らせた。ソファーの革に爪を喰い込ませて、肘を逆に撓らせてピーンと突っ張る。
「ああぅ、うううん」
 落雷を浴びたように、腰がびくびくっと跳ねる。
「いくっ、いちゃうっ、はぁあああーッ!」
 そして、弓のように背を仰け反らせた。胸を突き出すような格好で硬直すると、ぶるぶると震えた。脳裏には、鮮やかな閃光が煌いて、思考が真っ白に染め上げた。
 オーギュストは再び、中央のベアトリックスに戻った。
「ひぃふん!」
 ベアトリックスはまだルイーゼとのキスを続けていたが、思わず、顎を突き上げて、白い喉を伸ばす。
「また、またいっちゃう!!」
 再開された喜悦の声に、早くも絶頂の予兆を感じされる。
 オーギュストは腰の動きを早めつつ、両手を空いた左右の秘裂へと伸ばした。
「あ、アン……」
「う、うん……」
 まだ閉じていない膣穴へ指を忍び込ませて、膝まで濡らしている愛液の源泉を攪拌する。
「はぅうぅう、で、出ちゃうぅ!!」
「も、もうダメ、アアーッ」
 二人は白目を剥き、糸の引くような悲鳴を上げた。そして、まるで水鉄砲のように割れ目から大量の潮が噴き出た。
 オーギュストの指揮棒にコンダクトされて、三つの楽器が淫靡な音色を奏でる。


 ――セリア
 メルローズは、ノイエ・ルミナリエ宮殿の巨大な台所のバックヤードを、密やかに歩いていた。
 通路には物が散乱して、生ゴミが無造作に捨てられている。次に天井付近の小さな窓に目をやると、四角いガラスを丸く拭ってある。使用人たちの質が窺える。
「これは……」
 メルローズは、表情をいっそう険しくして、歩を早めていく。
 一方、礼拝堂では、ティルローズが極めて不機嫌な顔をしていた。
「誰かある」
 何度、誰何しても返事がない。
 祭壇の蝋燭が取り替えてなく、奉納された花が枯れている。
「誰もいないの!」
 業を煮やして声を荒げている。その時、ゆっくり扉が開いて、メルローズが入ってきた。
「メル、どうやってここまで?」
 驚きの表情を隠せない。宮殿最深部まで部外者が来る事はできない筈だった。
「侍従たちは、どうしました?」
「皆さん、逃げ出すのに忙しいようですよ」
「……そう」
 ティルローズは眼を閉じて俯くと、低く唸るように呟く。そして、やや長い沈黙の後、大きく息を吸いながら強く顔を上げた。
「そうですか。是非もありません」
「お姉さま、砂上の楼閣ですね」
 カリハバールの再侵攻の一報が届いた瞬間から、セリア中の人々は、眠れぬ夜を過ごしていた。
 ノイエ・ルミナリエ宮殿でも、役職を持つ者たちは、連日、善後策を講じようと幾つかの会議室に集まっていたが、いつしか怒号の飛び交う場となり果てていた。指導力不足の俄作り組織は、いとも簡単に機能が滞ってしまう。
「ええ、わたくしは所詮その程度の政治屋でしかありませんでした。必死になればなるほど、的外れで、頓珍漢な事ばかり……。でも、カールの時代には、もっとマシになっていることでしょう。いえ、必ずそうなります」
 これは信念というよりも、もはや執念であろう。ティルローズは青白い顔を固くし、抑揚なく喋っている。
「その新しい時代のために、グングニルの槍を上帝陛下に渡して下さい」
 メルローズは、姉の雰囲気に引きずられる事なく、明瞭な声で、単刀直入に要求を伝えた。
「その願いは叶いません。絶対に」
 即座に、一ミリの隙間もなく、頑なに拒む。
「グングニルの槍は、すでにカールの物です。折れたり、紛失したりしては一大事。彼の威光にかかわります」
「では、上帝陛下に素手でドラゴンと戦えと?」
「あの頭の芯が異次元に行っている娘(ユリア)のために、くだらない事をちゃらちゃらする余裕があるのならば、嫡男のためにドラゴンと素手で戦うなど大した事ではありません」
 ティルローズは、ヒステリックな声で息巻いた。
「そんな言い方。あんまりです!」
 大きな瞳の奥に怒りの炎を滾らせて、メルローズも声を張った。
「あんまりなものですか」
「お兄様がかわいそう」
「かわいそうなもんですか」
「……」
 礼拝堂に鳴り響いていた声が静まり、妹は姉をじっと睨む。
「分かりました。私がお力になります」
「お前に何ができるの?」
 口の端に、失笑が滲んでいる。
「お疲れを癒して差し上げ、励ましてさし上げることができましょう」
「アハハハ――」
 ティルローズは口に手の甲を当てて笑った。
「あの人に、そんなモノは必要ありません。一人で戦って、一人で勝つのです」
「これではっきりしました。少なくともお姉さまよりは、お兄様のことを大事に思っています」
「……」
 姉が妹を静かに見据える。冷え冷えとするような眼差しだった。
 メルローズは、震える心を叱咤するように、強く握り拳で太腿と二度三度と叩いた。そして、固く唇を結んだ。
「勝手におし」
 淡々と言い残して、ティルローズは出口へと歩き出す。
「何なのあれ?」
 靴の踵を高らかに鳴らして、メルローズがノイエ・ルミナリエ宮殿内の大回廊を歩く。その前に、いつかの侍従長が現われて、慇懃に頭を下げた。メルローズは、顔にあからさまな嫌悪感を浮かべる。
「お怒りのご様子」
「そなたには関係ありません」
 無視して、その隣を素通りする。その背に、侍従長は語りかけた。
「陛下はあのようなお方です。素直ではないのですよ。お分かりを」
「何が言いたい」
 メルローズは、知ったふうな、と唇を動かして、キッと目を吊り上げて振り返る。
 侍従長は口の両端を上げて笑うと、そっと壁際を指す。そこに、男たちが五人がかりで、紫色の布に包まれたモノを持ち上げていた。
「これは……もしや?」
 思わず息を呑む。
「ドラゴンとの闘いに役立ちましょう。どうぞお持ち下さい」
「前例はなかろう。こんな勝手な事をして宜しいのか?」
 メルローズは、侍従長の皺に囲まれた目を覗き込んで、その真意を探る。
「前例に従えば、打ち首でしょう」
 侍従長は笑顔のままで、手刀を首に当てて見せた。
「よいのですか?」
 戸惑った声で問う。
「侍従にとって大切な資質は、先を読む能力です。現時点での陛下の言に反しようが、罰せられようが、陛下の、帝国の未来のために事を為すのが仕事です」
「……」
 混乱から視線を落としてしまうが、はっとメルローズは紫の包みの中の神槍を見詰める。
「……ありがたく受け取りましょう」
「どうぞ」
 侍従長は深く頭を下げた。
 メルローズは男たちを従えて、玄関へと歩き出した。
 侍従長はそのままの姿勢で、見送った。
「老婆心ながら、お姉妹仲良くお過ごし下さい。先帝のお傍で見守らせて頂きます」


 夕焼けが、少しずつ水色に変わっていく。グリーズ離宮に無数の篝火が焚かれていく。そこに、百人ほどの若者が集まり始めていた。
「やあ、お前もか?」
「お前も呼ばれたか?」
 皆、ホーランドゆかりの若者たちで、学問や剣術の留学生などである。
「この顔ぶれで、パーティーでもあるまいに」
 彼らは、玄関ホールで顔を合わせると、訝しげに首を捻った。館の雰囲気が余りに物々しい。
 その時、大階段から、武者姿のメルローズが降りてくる。茜色の光に、美玉のような顔が照らされていた。
「西にドラゴンが現われました。天下万民のため、上帝陛下のおんために、今からわたくしは出陣致します。皆の力をお貸し願いたい」
 毅然と宣言して、頭を下げる。
 しばしじっと男たちは立ち尽くしたが、不意にしゃがみこんだ。
「貸すなど、恐れ多き事」
 若者たちは口々に呟き合う。前線まで、無事メルローズ様をお守りしなければならない。それは決して容易い事ではない。万が一のミスも許されない。
――さて、俺たちが死ぬのはなんでもないことだが……。
 恰も、川の澱みが一斉に流れ出すように、たくさんの運命が動き出していく。


 空が蒼茫に染まる中、慌ただしく出陣の準備が進められていく。
「これは何の騒ぎです!」
 騒ぎを聞き、ローズマリーが駆けつけた。
「……」
 メルローズの従者たちは、後ろめたいように顔を伏せて、指で庭を指す。
「メル、メル!」
 ローズマリーは妹の名を呼びながら、庭に出た。船着場で、メルローズは船に大きな水槽を載せる作業を見守っていた。
「何をしているのです?」
「見て分かりませんか?」
 似合わない、ふてぶてしい態度で答える。
「鯉をバイパール半島へ運ぶのです」
「馬鹿なことを!」
 ローズマリーは、無謀な事をしようとする妹を叱る。
「何故です。上帝陛下には、少しでも戦力が必要な筈です」
「しっかりしなさい。たかが鯉ではありませんか?」
「以前、陛下は言われました。この鯉には特別な力があると。少しでも魔力がある物を増やせば、それだけ陛下が有利なのです」
 その声に澱みはなく、瞳に一切の迷いはない。
「……」
 ローズマリーは声をなくした。妹の気持ちが痛いほど分かるのだ。自分もオーギュストの傍にいてやりたい。ドラゴンと闘う彼を少しでも励まして、癒してやりたい。だが、非力な自分が戦場に居れば、必ず足手まといになる。そう思うと断腸の思いで、セリアに留まっている。
 メルローズは、「まだ準備がある」と姉を残して歩き去る。ローズマリーはただ見送るしかなかった。
 その背で、彼女に従っていた僧兵が跪いた。
「恐れながら、今生のお別れを申し上げます」
「行ってくれますか?」
「はい。命に代えて、メルローズ様をお守り申し上げます」
「すみません……」
 ローズマリーは、震える唇を強く結んだ。
「勿体無きお言葉」
 男たちは、もう一度頭を下げた。


【4月下旬】
――テリム。
 カリハバールの若き皇帝バヤジットは、赤い柱の並ぶ一室で、じっと立ち尽くし、凄まじい眼光で外を眺めていた。元はパルディア王の後宮で、テラスの先に、鮮やかな薔薇と噴水の中庭がある。
 烈しい雨が降っている。地面にしぶきを上げる雨脚が、薄くぼんやりと霞んでいた。
 足元には、三人の裸の女が転がっている。どれも、異常な高熱を発して、インクを塗ったように肌を真赤にして、大量の汗をかいていた。意識はない。瀕死の状態にある。女たちは、捕らえたパルディアの貴族令嬢だった。
「誰かある」
 小姓を呼ぶと、女たちを片付けさせた。
 竜騎士となったバヤジットは、ドラゴンの放つオーラに侵されていた。ルーンを刻んだ包帯を全身に巻いて抑えていたが、絶えず高熱に魘されて、全身を焼く痛みに晒されていた。
「申し上げます」
 側近がテラスに跪く。一般人では、とても室内に入れない。異常な精霊の活動で、風の精霊は排除され、室内に熱が篭もり続けている。
「エルフ軍により、また部隊が全滅しました……」
「一々、くだらん事を報告するな」
 吐き出した息が、雷となって、側近が跪く周辺のタイルを砕き、そして焦がす。側近は戦慄して、震えながら平伏する。しかし、怯えながらも、毅然と進言する。
「恐れながら、エルフに情報が洩れているようです」
「……」
 限界まで開かれた目の中で、瞳孔が広がっていく。
「エルフ軍を排除しなければ、軍勢を前に出す事はできません」
 これはバヤジットの戦略に反している。彼は通常軍で敵兵を打ち破り、孤立したオーギュストをドラゴンで追い詰める作戦を用意していた。
 バヤジットは言う。
『アルサスは犬死だ。一人突出して、あれほどの善戦をしながら、相打ちにすらできなかった。もし歩兵が随従していれば、ディーンの首は、黒い大地に転がっていただろう』
 しかし、その肝心の通常軍が、前進も儘ならない。これではいつまで経っても決戦を挑めない。延々と肉体を焼き、精神を蝕む痛みに耐え続けなければならない。
「しかしながら、エルフの魔法は強力。このままでは通常戦力は壊滅してしまいます」
「飛竜八人衆を呼べ」
「はっ」
 ついに切札の一つを切る。
「命じる。森を焼き、目障りなエルフ軍を森から炙り出して、早々に始末しろ。ただし、エルフ王は捕らえて、ここへ引き摺って来い。余の相手をさせよう。エルフ王ならば、余の攻めにも耐えられよう」
「はっ」
 側近が走り去る。
「奴にはグングニルの槍がある。遠距離では不利だ……」
 突然、虚空を睨んで呟き始める。最近よくあることであり、オーギュストとの戦いに気持ちが馳せり過ぎて、その思考が言葉となって口から洩れてしまう。その事実にも気付かずに、バヤジットは思考に耽り続ける。
「奴自身に強力な魔力はない。何処からか借りてくるはずだ。しかし、伝国の秘宝スタールビーはもはやない。奴の武器を消耗されたという一点だけで、アルサスも存在価値はあったのだ、意外にも。そう奴に残されているのは、『大地の気脈』を利用する戦術だけ……だがこの大地は枯れている……何処も彼処も……」
 大地の気脈とは、生命活動により消費された精霊の欠片が空間を漂い、いつしか川のような流れとなったものを言う。その澱みには、膨大な魔力が埋蔵されている。アルサスとの戦いで、オーギュストはこれを巧みに利用して、ドラゴンを倒している。
「何処だ。何処にある。奴の切り札はどこだ」
 バヤジットは身動ぎ一つせずに、中庭の上の四角い空を睨んだ。鮮やかな稲妻が一つ走る。


 ――パールの森
「何たる蛮行!」
 エルフ王アルトゥーリンが、燃え盛る森林を眺めて絶句した。
「我が眼前でよくも。初めてだ。ここまでコケにされたのは。ゆ、許さん、絶対に許さんぞ、虫ケラども!!」
 怒りに震える拳を突き上げて、アルトゥーリンが叫ぶ。
「エルフ十三勇士よ。私に続け!!」
 そして、真っ先に飛び出していく。
 ドラゴンが八騎、立ち上る火柱の上を旋回している。
「陛下、これ以上は……」
「お前達は火を消せ」
 部下たちが火に怯む中で、アルトゥーリンは果敢に進む。
 身を守っているのは、『アカシックアーマー』と呼ばれる、神代から受け継がれた鎧である。鮮やかに輝くブリットシルバーの外装に、間接部を伸縮自在のデストロイブラックの幕で被い、そして、強固なスチールグレイのチューブが全身に張り巡らされている。
「不浄のものどもよ。天に帰れ!」
 黄金の剣を抜き、腰を落として、両手でしっかりと構える。
 そこへ一騎、ドラゴンが飛び掛ってきて、至近距離から炎を吹き出した。
「炎奪バンディット!」
 詠唱とともに、炎がアルトゥーリンの前で四散する。
「はっ!」
 そして、気合とともに黄金の剣をふるって、ドラゴンの喉笛を切り裂いた。
 もんどりうって倒れるドラゴン。土煙が盛んに舞い上がる中で、アルトゥーリンは次の獲物を見つめている。
「水翔王ジール!」
 足元で、豪快に水飛沫が上がった。ソフィアブルーの一角海豚が跳ねて、アルトゥーリンは、高々と舞い上げる。
「たァ!」
 黄金の剣を突き立てて一直線に突き進む。黄金の残像を残す姿は、まさに一本の光の矢と呼ぶに相応しいだろう。飛翔することを妨げる物を一切許さない頑迷なほどの威風を感じさせていた。
 ドラゴンと衝突すれば、凄まじい火花が舞い散る。そして、ついに光は黒い塊を貫いて、天空へと伸び上がっていく。
「風馬バリオス!」
 ドラゴンを貫通したアルトゥーリンは、風の中に姿をくらました。
 戸惑う竜騎士の一人を、いきなり背後から蹴落とすと、ドラゴンの首へ黄金の剣を静かに沈めていく。凄まじい血飛沫が舞い上がる中で、アルトゥーリンは勝ち誇った笑みを浮かべた。
 その時、死に行くドラゴンの影から、別のドラゴンの首が伸びてきて、アルトゥーリンをその巨大な顎で捉えた。
「ドラゴンの牙も大した事はない」
 しかし、如何に鋼さえ貫く鋭い牙といえども、アカシックアーマーに傷一つ作ることはできない。
「雷蜂ホーネット!」
 閃光する無数の小さな点が、蜂のように黄金の剣の上で飛び交う。その動きが臨界に達した時、鮮やかな稲妻が、ドラゴンの体内へ向かって放たれた。
 瞬きする間に、ドラゴンは焼け焦げて、アルトゥーリンともども落下していく。
 アルトゥーリンは、膝を畳み、腰を落として着地した。その衝撃で、大地は窪み、小さなクレーターが生じたが、彼女自身は、何事もなかったように立ち上がる。
 四騎も失い。ドラゴンは悲しみ咆哮を放ち、竜騎士たちは、焦りの金切り声を上げた。
「取り囲め!」
 残った四騎が旋回する。
「風、雷、炎、水、クオーターネイキッドフラッシュ!!」
 機先を制して、アルトゥーリンが詠唱する。
 爆音が轟き、剣先から、超巨大なエネルギー波が放たれた。三騎のドラゴンがその波に呑まれて、次第に皮が剥け、肉が削げ、骨が砕けて、ついには完全に光の中に熔けていく。


 ――テリム|。
「それでおめおめと帰ってきたわけか」
 生き残った竜騎士を、冷めた目が見据える。
「はっ。エルフ王の強さ、その戦術を正確にお伝えするべきと愚考致しました」
 ゆっくりと傷む体を労わるように、バヤジットは立ち上がる。
「ご苦労だった。ゆっくりと休め」
 瞬間、バヤジットを包む包帯が靡いた。その下から、眩い閃光が走る。押さえ込まれていた雷が弾け出たのだ。
「竜牙雷雷拳!」
 その稲妻を、バヤジットの拳が易々と追い越していく。小指と薬指を折り、親指、人差し指、中指を鈎状にした拳、竜騎士の肉体を泥のように抉ってしまう。しかし、血は吹き出ない。追い付いた稲妻が、血と肉を忽ち焼き尽くしてしまった。
「ひぃぃぃ」
 奇声を発しながら竜騎士は死ぬ。しかし、死してなお、電撃の刺激で筋肉の収縮を続けて、奇矯な舞を踊り続けている。
 バヤジットは中庭に出た。
「おもしろい。我が婦に相応しい」
 そして、遥か遠いパールの森を見遣ると、包帯の奥から笑い声をもらした。口が、大きな三日月を寝かしたように、大きく左右に開いていた。


 ――パールの森
 森の中、小高い丘の上に、木蓮の木が一本立ち、白い花を咲かせていた。
 その下で、オーギュストは、木製の、布張りのしてあるデッキチェアーに坐り、濃い目のカフェオレを、時間をかけて飲んでいた。
「面白い余興だった」
 カップを折りたたみ式のサイドテーブルに置くと、ゆっくりと手を叩く。
「さすがにエルフ王です」
 マルティナが嬉々とした声で言う。膝の上に抱かれて、好き勝手に胸をもまれている。
「が、あの小娘のはしゃぎようは腹が立つ。だいたいあれは俺が作ったものだ」
 オーギュストの眉間には、険が滲んでいる。
「さて、行くか」
 オーギュストは肘掛に手をかけて、徐に立ち上がった。鎮守直廊三人衆も、手際よく出立の仕度を整える。
 その時、丘の斜面を登ってくる三人の男たちを見つける。
「逃げろ……」
「どこへ」
「取り敢えず逃げるんだ。バヤジット様は決して失敗をお許しにならない」
「山を越えて、ドワーフの居留地に匿ってもらおう」
「そうだな」
 息を切らして、時に、地面に手をつきながら、三人は上ってくる。
「ほォ、竜騎士も竜を失えば、ただの雑兵に過ぎぬか。勉強になる」
 オーギュストは、右手を水平に掲げながら言う。三人の竜騎士たちは「誰だ?」と叫びながら剣を抜いた。
「捕虜か死か、好きな方を選べ」
 キーラが差し出す刀を、オーギュストは順手で掴む。
「……」
 竜騎士たちは一考だにせず、剣を構えて、切りかかっていく。さすがに竜が認めた男であり、その斬撃は烈しく鋭い。
 上段から斬り下ろす一人目の剣を、右足を振り出しながら、鞘に治めたままの刀で受け止め、そして、弾き返した。
 もともと足場が悪い事もあり、一人目はバランスを崩して一歩斜め後ろに下がる。すぐに二人目が迫る。その為に道を譲ったのだろう。
「……」
 オーギュストは、右足をそのまま回し、くるりと半回転して、敵に背を向けてしまう。しかし、その表情は山のように泰然として、一切動じていない。
「でぃ!!」
 一瞬たじろいだが、勝機をみすみす逃がす訳にはいかない。二人目が、脇構えから豪快に突っ込んでいく。
「……」
 眼前で、オーギュストは束を左手で掴み、左下へ流れるような動作で刀を引き抜いた。そして、もう半回転しながら、横に素早く閃光を走らせる。
「ば、バカな……!」
「ぐはっ!」
 一人目と二人目を同時に斬った。
 そして、何事もなかったように、眼前に刀を立てて、上から鞘を被せた。
 最後に残った竜騎士は、その余りに流麗な剣技を目の当たりにして、正眼に構えた腕に無駄な力を注ぎ込んでしまう。
「……」
 オーギュストは平然と近付き、その腕の間に鞘を押し込んで、錐のように捻る。
「なっ」
 竜騎士は絶句しながら、腕を捻られて、為す術もなく、地面に屈してしまう。
「……」
 そして、オーギュストは動けない竜騎士の目の前で、ゆっくりと白刃を晒していく。
「ひっぃ!」
 竜騎士の顔が、恐怖に引き攣る。
 そこへ容赦ない一撃を斬り落とした。
「……」
 オーギュストは刀を無造作に草むらへ投げ捨てると、涼しい顔で、竜騎士たちが刻んで出来上がったばかりの斜面の道を降りていく。
「やれやれ、手土産がなくなってしまった」 汗の一粒どころか、欠伸をしたほどの疲れもない。


続く


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