g_03.gif エリーシア戦記

...Record Of Ariesia War...


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第62章 朝三暮四


【神聖紀1233年5月】
 ――パールの森。
「これはどう言うことか?」
 エルフ王アルトゥーリンは、自軍砦の荒れ方に驚愕している。飛竜との戦いの後、森の奥に築かれた砦に帰還してみると、全ての営舎は焼け、大木が根こそぎ倒れて、あちこちに、火口のような黒く焦げた穴が開いていた。
「重ね重ね、申し訳ございません……」
 頭に包帯に血を滲ませた紅顔の戦士が、跪いて、苦痛と屈辱に顔を歪ませながら詫び続ける。留守を任せた上位者が、全て戦死した為に、この若者が、敗戦の責任を引き継ぐ形になっていた。
「あの漆黒の雲に気を取られていると――」
 若者の視線に応じて、アルトゥーリンは、プラチナの髪を振り払い、深碧の瞳を、曇天の空へ向けた。
 遥か天空に一つ、禍々しいほど黒い雲の塊がある。時折、不気味な雷光を放って、雷鳴を轟かせている。
 バヤジットのサンダードラゴンが、潜んでいるのは明らかだった。しかし、余りに高過ぎて、攻撃のしようがない。
「そして、いきなり大地を突き破って、ドラゴンが出現し、不意を衝かれて……為す術もなく……無念です……うう」
 悔し涙を大地に落とす。
「グランドドラゴン(土竜)か?」
「はい」
「真上と真下。人間めッ!」
 アルトゥーリンが、烈しい憎悪の感情を込めて、低く唸る。
 バヤジットの作戦は、アルトゥーリンを小者のワイバーン(飛竜)で誘き出し、手薄なエルフ軍砦に対して、遥か天空からサンダードラゴンで牽制しつつ、地中のグランドドラゴンで奇襲する、というものだった。
「なんと姑息な!」
 嫌悪を具現化したように、険しい皺を眉間に刻む。そして、吐き捨てるように呟くと、顔の前で固く拳を握った。
 その時、雷鳴が轟いた。漆黒の雲に、鮮やかな稲妻が走っている。
「これ以上やらせぬッ」
 アルトゥーロンは黄金の剣を抜きながら駆け出す。黄金の剣で、稲妻を斬るつもりだ。
「ハッ!」
 一度腰を落として、勢いよく跳ねた――が、鎧の間接部分が甲高い悲鳴を上げて、アルトゥーリンの身体は、力なく失速する。
「そんな……何故?」
 着地とほぼ同時に、太い稲妻が、鮮やかな閃光とともに落ちた。
「あっ!」
 砦の端に立っていた鹿を直撃する。稲妻の形をした大角をもつ『サンダーディア』で、避雷針用に配置されていた。しかし、稲妻の威力を吸収しきれず、弾けて、四方に衝撃が拡散する。これに、またエルフの戦士たちが、巻き込まれた。
 目を覆うばかりの惨劇に、アルトゥーリンは愕然とする。自分の不甲斐なさが、情けなくて涙も出てこない。
「それでも王か……」
 不快な音を放った膝の間接部分を叩いて、憎らしく見遣った。
「ドラゴンの血……?」
 間接部分に、べったりと赤い染みがこびり付いていた。


 ――オーク王国の洞窟。
 その頃オーギュストは、長い洞窟の奥にいた。岩が氷河によって削れられて、V字型の急峻な崖が続いている。
「よくも我が王国を!」
 眼前では、頭に王冠を頂いた巨大な猿が、鋭い牙を剥き、臭い息を吐き出しながら、盛んに叫んでいた。
 この洞窟に、棲みつくキングオーグである。全身を覆う薄いグレー色の毛は、石のように硬く、その下に、発達した筋肉と堅牢な骨格をもつ。特に、頭蓋が強化進化しており、額は甲羅のように固く隆起していた。
「ではッ」
 キングオーグが、渾身の力で棍棒を振る。
 オーギュストは、左手一本で難なく受け止めると、右手の刀で水月を突く。

 しかし、キングオーグは、口の端から細く血を垂らしながらも不適に笑い、突き刺さった刀を強く握り締めた。
「ワシの鋼の体は、そんな細い棒なんぞじゃ貫けんぞ!」
 オーギュストの背後に広がる薄暗い闇の中で、無数の妖魔の気配が蠢く。
「野郎ども、やっちまいなぁ!」
「おお」
 薄く軽薄な笑い声が、地響きのように渦巻く。
「あーぁ、そうかい」
 オーギュストは、気のない声で答えた。
 然も興味なさそうな表情を一旦引き締めると、腰を落として、ぐっとキングオーグを持ち上げた。そして、そのまま垂直に飛び上がり、一気に、天井付近まで舞い上がる。天井の一部は氷河で、幻想的な碧白い光を透かしている。その光と氷の織り成す芸術の前で、オーギュストとキングオークは、ぐるりと反転する。
「あわわわ、げげげ」
 キングオーグは、人生初の無重力を体験しながら、情けなく取り乱した声をもらす。
「メテオ・インフェルノ」
 オーギュストは、刀に魔力をこめてぐっと強く押し込む。
 キングオーグの全身に無数のひびが入り、ついに粉々に砕け散った。その破片は、氷河の光に照らされて、輝く流星となり、洞窟の底に広がる深い闇の世界へと降り注いでいく。
「ぎゃぁあああ!」
 流星は、群がる妖魔たちを尽く撃ち抜く。洞窟に凄惨な悲鳴が響き渡った。
「……」
 再び静寂を取り戻した洞窟の中で、オーギュストは一人佇んでいる。足元の急峻な崖には、膨大な妖魔の屍が折り重なっている。
 徐に紙コップを口元へ運ぶ。銀色に輝く糸が、漆黒の闇の中をピーンと張り、洞窟の入り口へと伸びていく。
「お客様は全員チェックアウトした。すぐに清掃係を入れろ。五つ星として恥ずかしくないサービスをしろ。以上」
 刃毀れの激しい刀を岩に突き刺した。


 ――ヘルト要塞
 快適な天候が続いている。野も山も青葉が、焔の如く生い茂り、渡る風は、爽やかに薫り立っている。
「勝利おめでとうございます」
「まだほんの緒戦さ。でも、ありがとう」
 ルートヴィヒ・フォン・ディアン男爵が、細長いシャンパングラスを掲げる。
 それを見て、ランは慌ててシャンパングラスを持ち上げる。そして、慣れない手付きで接触させた。
 ここはヘルト要塞の士官用喫茶室である。ルートヴィヒからランチに誘われて、シャンパンをご馳走になっていた。
 赤い布と縁の布で覆われたテーブルに坐り、藍色のグラスに、可憐な鈴蘭が一本だけ活けてある。
「美味しい……(のかな?)」
 一口呑むで、取り敢えずランは笑う。
「僕のお気に入りでね。是非君にも飲んで貰いたかった」
 言い終わると、ルートヴィヒは、照れを隠すように一気に飲み干す。
「ああ、はい……(どおしょう)」
 ランは緊張で俯いてしまう。
「僕はね。敵は補給艦隊を狙ってくると思っている。確かシードラゴンとか言ったかな。あれで、ね」
 適度に潤った唇で、ルートヴィヒは、語り始める。
「それで、これからは、こういうセリア産の物はそうそう飲めなくなる、と僕は睨んでいるんだ」
「はぁ、さすがですね……(さっぱり分からん)」
「だから、どんどん飲んで欲しい」
「いえ、まだ仕事がありますから」
「僕はね――」
 控え目に手を振るランを無視して、ルードヴィヒは、なみなみにシャンパンを注いだ。
「何時までも、父や母の七光りと言われるつもりはないんだ。この戦いで、手柄を積み上げて、必ず自立しようと思っている。でも、僕のような小勢では、そうそう武勲のチャンスも得られない。与えられたチャンスを最大限に活用していくつもりだ」
 力強く宣言すると、熱くなった体を冷やすように、シャンパンを、もう一度、一気に飲み干す。
「ええ、でも、焦りは禁物ですよ」
 その優しい一言に答えて、ルートヴィヒは急に、テーブルの上に置かれたランの手に手を重ねた。
「ありがとう。忠告大切にするよ」
「ああ、いえ、ども……」
 ランの顔がみるみる真赤に染まっていく。
(これは男爵夫人への誘いかしら。でも、彼はもっと出世しそうね。伯爵夫人……ボクが???)
 頭の中で、妄想が急激に膨らむ。
「あれ、ランさん」
 その時、入り口から、親しさを装った、聞き慣れた声が聞こえてきた。咄嗟に、ランは手を引いて、背中に隠してしまう。
「将軍、お久しぶりです」
「先任参謀も」
 ヤンがテーブルの傍らに近寄ってきて、ルートヴィヒと握手する。肩の参謀飾緒が眩い。
「それにしても、珍しい組み合わせですね」
 ヤンの背後から、先程の声の主であるアンが現われて、目を妖しく細めて告げる。
「べ、別に貴方には関係ないでしょ……」
 思わず、ランは必要以上に厳しくアンを睨み上げる。それに、アンは、薄い冷笑を浮かべて受け流した。
 そこへ、バーテンが駆け寄り、ヤンとアンの二人を、ピアノの前の席へ案内した。そして、ヤンが「いつもの」と注文すると、すぐに「ピンクですね」と答えた。
「では、これで」
 興をそがれたのか、ルートヴィヒは、口を拭って立ち上がった。
「また飲みましょう」
「ええ」
 ランは曖昧に頷いた。それから、どっと大きく息を吐いて、ヤンたちの方へ向かった。
「美味しい。さすがにドンペリね」
 アンは一口含むと、さり気なくグラスの縁を拭く。
「昼間から酒かよ」
 ランが嫌味たっぷりに言う。「あんたに言われたくない」と即座にアンが噛み付く。
「こっちは仕事明けだよ。昨日の8時からずっとだよ。ここ、どこの蟹工船だよ。脳みそスポンジだよ……」
 ヤンが、日頃とは違う異様なテンションで呟く。
「それでも、作戦は決めたのでしょ、さすが先任参謀ね」
 アンは、癒すような笑顔を向け、思惑ありげに持ち上げる。そして、ドンペリピンクを注いでやる。
「それって、シードラゴン対策だろ?」
 いきなり、ランが、聞きかじりの知識をひけらかす。
「それを言うなら、オーシャンドラゴン」
 ヤンが訂正する。疲れのせいで、どこか言葉が投げやりである。
「あははは」
 そして、アンが、手の甲を口に当てて、高笑いし始めた。
「どっちにしろ。ドラゴン対策は、半月前に提出してあるよ」
 言い終わると、どっとテーブルに伏す。本能的に、面倒から逃れるようとした行動であろう。
「もう仕事の話は止めてくれ……」
 くぐもった声を吐く。
「そうね」
「同感だわ」
 そのヤンの頭上で、ランは腕組みして、アンは腰に手を当てて、鋭くにらみ合っている。


【神聖紀1233年5月中旬】
 ――五つ星洞窟。
 パール森を抜けて、洞窟の入り口に立つ。V字型をした巨大なもので、まるで人が蟻のように見える。開口部は、全て柵で仕切られている。柵の前には、職人達用のテントが立ち並んで、小さな市まで開かれている。
 かつてオークたちが、餌である人間を担いで出入りしていた場所だったろうが、今は改築工事の最中で、まるで遊園地のような雰囲気がする。
 ランと香子、アンとダンの4人は、柵を越えて、砂を敷いた広場に出る。それから、石垣で、一段高く水平に作られた場所へ向かった。
 すでに親衛隊隊長ナン・ディアンが、立っていて、時計を見てから笛を吹いた。
「遅いぞ。もうすぐ到着時間だ」
 何故か日頃より生き生きしている。
 その言葉通りに、すぐに、洞窟の奥から、鋼鉄のゴンドラが降りてきた。
 ゴンドラの扉が開くと、幹部のサン・カステラル、バン・ミッチェルの2人が出てくる。
「気を付け!」
 不思議な節をつけて、ナンが号令する。
「マジックカード五枚、申し送ります」
 サンが手渡し、ランが受け取り、数をかぞえる。
「マジックカード五枚、申し受けます」
 そして、ナンが「武装点検」と命じる。その場の全員が剣や防具を点検して、揃って「異常なし」と告げる。
「警備任務第一直、異常なく申し送ります」
「警備任務第二直、異常なく申し受けします」
 全員が敬礼した。
 こうして交替の儀式を終える。
 鉄のゴンドラは、任務に就く4人を乗せて、洞窟の奥へと急勾配を昇り始めた。
 ゴンドラは、鋼鉄の綱で、引っ張り上げられている。途中で、同形のゴンドラと行き違う。二つのゴンドラは、一本の綱で繋がっている。山上のゴンドラが、大量の水を搭載して、その重みで下降すると、その力で、麓のゴンドラが上昇する。単純な仕組みになっていた。
「ラクチンですね、姉御。かつて大魔王ルシフォンが、造った物らしいですよ」
「ああそう」
 香子の言葉に、ランは愛想なく答える。その殺気立った視線は、まっすぐアンに向けられていた。アンの方も、些かもランに負けない殺気を全身に漲らせている。
 二人の間で、放出された瘴気が、まるで別の生き物のように、おどろおどろしく、ぶつかり合っていた。
 原因は、別れ際にナンが呟いた一言である。
『陛下から内定を貰った。この戦いの後、参謀本部へ移動だ。後のことは、二人のうち、どちらかに任せることになるだろう』
 得意満面で喋った。それを受け取った側の重みを全く想像していない軽い声だった。
 ランもアンも、出世には然程興味はない。だが、互いに、『この女から命令される事だけは絶対許せない』と思っている。
「何だこらァ!」
「やんのかァ!」
 二人は、顔を突き合わせて、何度も顎を上下させている。
 その時、突然、ゴンドラが止まる。
「何だ? 呪いか?」
 暗闇に包まれた室内に、香子のすっとんきょうな声が響く。
「早く照明のカードよ!」
「だから、命令するな!!」
 アンの命令口調に、ランは怒鳴って返した。しかし、暗くてカードの見分けがつかない。
「愚図、貸しなさいよ」
 焦るアンが、マジックカードを奪い取ろうとする。が、ランも素直に渡すわけにはいかない。
「邪魔をするな!」
「魔力がない貴方じゃ、何もできないでしょ。さっさと離しなさいよ」
「アンタも似たようなものだろがッ! とにかく離せ!」
「命令しないで!」
「そっちこそ」
 マジックカードの両端を掴んで、ランとアンが引っ張り合う。
「しようがないなぁ……」
 香子は、ふぅと息を吐き、右の袖から扇子を、左のポケットから粉を取り出して、ふわりと仰いでみせた。
 魔力を帯びて輝きだした粉は、次第に獣の形を為していく。召喚されたのは、小さなウリボウである。鼻から光を発して、洞窟内を鈍く照らし始めた。
 その暗闇の中、鋼鉄の綱を昇っていく小柄な人影が見えた。
「あれは!?」
「エルフ王だ!」
 身を乗り出す二人。ランが指差すその横で、アンが叫んだ。
「追いかけるのよ」
「どうやって?」
 アンは、然も当然のように言うが、この暗さで、あの綱の上を走るのは不可能だ、とランは告げる。
「じゃ、降りて、走ればいい」
「アンの言う通りだ!」
 すかさず、ダンが同調する。
「あのぉ、あねごぉ……」
 香子が、ゴンドラの下を見て蒼褪めていた。
「どうした?」
 香子に促されて、ランが下を向くと、オークの骸が斜面全体に転がっていた。
「ちょっとヘビーね……」


 ――五つ星神殿。
 山頂付近の岩壁を横にくり貫いて、開口部に、シダ植物を模した巨石で列柱を作り、半トンネル状の空間が築かれている。
 屈強なドワーフたちが、一箇所窪んだ壁に、何段にも組まれた足場をせっせと歩き回っている。彼らは、車輪によく似た、大きな蓋に、細かくルーン文字を刻んでいる。
 その脇では、オーギュストとドワーフの工場長が、チェスを楽しんでいた。
「姑息なエルフどもが、その悪行に相応しい、大変な事になっているらしいな」
「うむ? ああ、リーダーがドジだからな」
 オーギュストは、盤上から顔を上げず、駒を動かしてから、答える。
「上と下から……。大技を狙っているな」
 工場長は、オーギュストを見上げて、ニヤリと髭に覆われた口元を緩める。そして、みえみえと呟きながら駒を動かした。
「チェックメイト」
 その直後に、オーギュストは、端から端へと大胆に駒を動かして、一方的に勝利宣言して立ち上がる。
 あっ、絶句した工場長を残して、傍に控えていた侍女から、コーヒーを受け取り、一口飲み込む。
 視線は、自然と眼下で蠢く黒い雲へ向く。
――天にはサンダードラゴン、大地にはグランドドラゴン。落雷と地震を同時に起す大規模破壊魔法を狙っているな……バヤジット。
 わなわなと酔うような強い愉悦が、心の底に広がる。
――俺のところまで這い上がって来い。無残に殺してやる!!
 ぐっと瞳を見開いて、拳を握り締めた時、キーラが傍らに跪いた。
「申し訳ございません。何者かに侵入を許しました」
「構わん。そろそろ来ると思っていた。魔王の間に通せ」
「はい」
 キーラが深く頭を下げる。


 魔王の間は、半トンネルの回廊の端、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と言う銘文が刻まれた扉の奥にある。部屋は、赤の壁に黒い柱が並ぶ、典型的なダークエルフ様式で、壁は、幾多のおどろおどろしい武器で満たされていた。
 扉から右手奥に、一段高い玉座がある。側面の壁には、冷たい風貌の男の肖像画がある。
「知っているか?」
「いいえ」
 警護のマルティナが首を振る。
「この部屋の主だった男だ。この遺品を見れば、この男の力量が分かる」
 ガラスケースの中に納まったマジックアイテムの数々を見て、惜しくも力を出し切れずに死んだダークエルフを、オーギュストは偲ぶ。
「ああ、本当に、つくづく……惜しかった」
 これら武器を、ダークエルフ史上最大の天才は、どのように駆使したであろうか。さぞ盛大な破壊魔法を演出した事だろう。決戦に臨み、おそらく新技を温めていた事だろう。きっと起死回生の秘術を隠し持っていたに違いない。オーギュストは、ひとり空想しながら、悔しそうに顔を顰めた。
 その時、騒々しく、客人が到着した。
妄想に未練を残しつつも、パンパンと頬を叩いて、弛んだ表情を引き締めると、玉座へ向かう。腰を降ろした直後に、客は乱入してきた。
「鎧が壊れた。直せ」
 扉を蹴破り、ずがずがと部屋の中央まで進むと、エルフ王アルトゥーリンは、挨拶もせずに、来訪の用件を告げる。
「……はぁ」
 玉座のオーギュストは、左手での頬杖を右手に直して、深いため息をついた。
「無理だな」
「何故?」
「主義に反するから」
「つまらん!」
 顔を顰めて、吐き捨てるように言う。
「つまらなくはないさ」
 オーギュストは穏やかな口調で返し、ゆっくりと脚を組んだ。
「下らん!」
「下らなくはないさ」
「下らんに決まっている」
「決まってはいないさ」
「決まっているに違いない」
「違いはないさ」
 単純で退屈な言葉の繰り返しだが、当人たちは、いたって真剣である。
「つべこべ言わず、直せ」
「ダメ」
「剣は直しただろう?(第46章参照)」
「剣は現世の物だが、その鎧は、ロストテクノロジーの宝庫だ」
「ふん」
 突然、アルトゥーリンは高慢に鼻で笑った。
「そうか。早い話が、自信がないのだな。だったら早くそう言え!」
 烈しい口調で言い放つと、さっと横を向き、顎を誇らしげに少し高く掲げる。それから、背筋のすらりと伸ばし、悠然とした足取りで、玉座の前を横切り、壁際のガラスケースの前に立った。そして、宝物を覗き込むふりをしながら、瞳の端で、しっかりとオーギュストを観察し続けている。
 オーギュストの傍らで、薄いため息が重なるようにもれていく。護衛の女性達のものである。
 その肌は、想像だにできないほどの純粋な白に輝いていた。人間界で白と呼ばれているものが、如何に不純物を含んで濁っているのか、痛いほど思い知らされる。絵の具どころか、ユリの花びらや雪までも、もはや白と呼ぶことはないだろう、と彼女たちは思う。
「ポンコツに用はない。所詮、人間は二流種族。霊長種たるエルフ族の役に立つ事もできぬか。情けない」
 アルトゥーリンの言葉に、護衛たちの顔色が変わった。憧憬は時として、烈しい憎悪となる。
「挑発しようが、ダメなものはダメ」
「諦めんぞ!」
 すっと向き直る。
「くどい」
「……ちぃッ!」
 苦々しい表情で、小さく舌打ちをした。
「無礼であろう!」
 この態度に、ついにサンドラの堪忍袋の緒が切れた。火のように叫び、一歩前に出ようとする。しかし、その彼女を追い越し、先に出たのが、マルティナである。
「エルフ王ともあろう者が、古の礼法も知らぬか!」
 舌鋒鋭く言う。
「今は気が立っている。力尽くということなら、こちらに異存はないぞ!」
 アルトゥーリンは、黄金の剣へ手を伸ばした。まさに一触即発という雰囲気で、魔王の間に空気が張り詰めていく。
 と、冷めた瞳のオーギュストが、控え目に手を上げて、女たちを制した。
「黄金の剣が相手では分が悪かろう」
 この声に、護衛たちは振り上げた拳を下ろす。
 それを確認すると、急に、オーギュストの声が低く重くなり、眼光が研ぎ澄まされた刃のように冷たく光っていく。
「だが、もし本気で俺の女たちとやるつもりなら、……俺にも依存はないぞ。ただし、3秒だけ反撃を待ってやる。せいぜい有効に活用しろ」
「……」
 忽ち、アルトゥーリンも表情を険しくした。脳内の細胞は烈しく活性かし、幾千という攻防を思考する。
 そして、「ちぃ相打ちか……」と呟く。「いや違うだろう」とオーギュストは思わず腰を浮かしていた。
「敵の敵は味方だ。争ってもしようがない……」
 アルトゥーリンは、無邪気に微笑み、一度両手を軽く上げて敵意が無いことを示した。呆れつつも、オーギュストは視線を和らげる。
「お前さんには、まいるよ」
「では、友好的に話し合おう。鎧を直せ」
「嫌だ」
 オーギュストの拒絶の声を聞くと、突然、アルトゥーリンは、鋭く指を突き出し、烈しく罵り始めた。
「これほど懇切丁寧に説いても、ドラゴンが以下に強敵なのか、まだ分からぬかッ!!」
 優美なエルフとは思えぬ、鬼の形相となり、頭の血管が、今にも切れるほどに興奮している。
「ふぅ」
 オーギュストは一笑に付した。
「少しは肝を嘗めたようだな」
「なに?」
 アルトゥーリンの眉が唸る。
「お前は勘違いしている」
「何だと?」
「あの鎧ではドラゴンに勝てない」
「バカな。現にドラゴンの攻撃にもビクともしなかったぞ」
「だが、エルフ軍は負けて、お前はここに来た。何故だ?」
「……」
 想定外な事態が起きた。その一撃が、余りに深く心臓に刺さったために、返す言葉を失ってしまった。
 オーギュストは、交互に、腕を前へ伸ばして、二の腕の部分を引っ張って袖をまくった。
「考えても見ろ。鎧は一つしかないのだ。お前以外が死ぬのは自明だろう。それに、敏捷性に優れたエルフが、重装な鎧を着てどうする?」
 オーギュストは、感情を省き、淡々とした響きで語ったのだが、だからと言って、アルトゥーリンの心に光のような感銘が差すわけもなく、「戦いもせず、知ったふうな口ぶりを」と不愉快な思いを高める一方だった。
「……ご教授願いたい」
 しかし、如何に負の感情を抱えていようと、一旦助言を得ると決めれば、相手に対して礼を尽くすのが、彼女の美学である。アルトゥーリンは深く頭を下げた。
「より適した物をやろう」
 オーギュストは、肘掛のスイッチを押す。すると、背後のワインレッドのカーテンが左右に開いていく。
「こ、これは?」
 アルトゥーリンが呆然とする。そこには、白く閃光する翼があった。
「素晴らしい、まるでエルフの精神が形となったようだ」
 そして、感嘆の声をもらした。


「フェアリーウィング、宜しいのですか?」
 刀根留理子の声に、オーギュストは顔を上げる。
 手には、シダ植物の羽状複葉の青銅器があった。中軸の左右に並んだ小葉を丹念に磨いて、まるで鏡のように輝いている。
 ダークエルフが、鎧の装飾用として、腕に装着していたもので、物理的な防御力は低いが、強力な魔力が秘められている。
 オーギュストは、これを南国の海のように澄み切った青色の腕輪に、葉柄を突き刺すように繋げた。また、腕輪の先には、二枚の銀の板が細長く伸びて、烏の嘴のような形になっている。二枚の板の間隔を調整できるネジがあることから、特殊な烏口であることが分かる。
「ああ」
 赤い酒のグラスを受け取り、小さく頷く。
「しかし、あれは発掘したダークエルフの物を白く塗っただけ……。知れば、不愉快に思うでしょう」
「エルフの連中は、羽の数さえ合っていれば安心するものさ」
 オーギュストは一口で飲み干すと、薄く笑った。
「さて、フライフィッシングを始めよう」


【5月下旬】
 ――ユーグ塔。
 パルディア王国の首都テリムとトラブゾンを結ぶ中間地点に、ユーグ港がある。天然の良港で、古くから停泊地として人気があった。ここに、灯明台が設けられたのが、パルディア王国建国(1192年)ごろで、以後、王家の祖ユーグ・ルクレールの名前を与えられるほどに殷賑を極めていく。
 沖合に300メートルほどに、小島がある。アシカ島と呼ばれ、名の通り、アシカの繁殖地であった。上陸したアシカの群れが、ゴロゴロと昼寝している姿は、旅人の目を楽しませた。
 しかし、のどかな島が一変する。
 カリハーバル皇帝バヤジットは、通行する船から関税を徴収したユーグ塔に拠点を置いた。そして、アシカ島には、ドラゴンの軍団が、その巨体を休めている。

 御前会議は、暗い空気に包まれていた。
 各前線から、劣勢の報告が続いている。突如として、エルフの戦士たちが、白い翼を広げて天空を舞い始めたからだ。
 白き天使の如きエルフの戦士たちは、地を離れる事のできないグランドドラゴンの攻撃を、嘲笑うかのように回避し、我が物顔で空を制覇していたワイバーン(飛竜)を追い払ってしまう。
 将軍達は、長方形のテーブルを左右から挟むように坐り、前夜行われたオーシャンドラゴンによる、敵の船団への奇襲攻撃の戦果をじれったく待っていた。ある者は絶え間なくタバコを吸い、ある者は、瞑想のように眼を閉じていた。
 そして、ついに訪れた報告に、深い呻きを一斉にもらす。
「オーシャンドラゴンが……破れました」
 然して強くもない声が、まるで太鼓の音のように将軍達の心に轟く。忽ち、その髭までもが蒼褪めていく。
 これで、ドネール湾内の制海権も失ってしまった。
 苦戦の続く正面のエルフ軍へ、サンダードラゴンを携えたバヤジットが出陣すれば、手薄になったテリムへ、サリス軍が押し寄せてくることは火を見るよりも明らかだった。
「敗因は?」
 仕切り役のヌール・カラタイ将軍が、重々しい声で問う。筋骨たくましい壮年の男で、肌も浅黒く、瞳の光にも力強さを感じさせた。バヤジット政権の要と目され、実質的に、この遠征軍の管理運営を行っていた。
「護衛艦から投擲された銛には、樽が結び付けておりました。二つ三つと重なると、海面に浮かび上がらざるを得ず……そこを三叉の衝角で貫かれました……」
「そうか。ご苦労……ひぃ!」
 玉座の前に垂れた簾を突き抜けて、青い稲妻が、諸将の前を駆け抜けていく。数々の書類が燃えながら舞い上がり、テーブルの表面が焼け焦げる。驚きの余りに椅子から転げ落ちる者、ガラス窓に頭を突っ込む者、壁に張り付く者と、歴戦の勇者をして、まさに阿鼻叫喚の場と化した。
「敵もさるもの引っ掻くもの――」
 その時、観音開きの扉が開いて、ゆっくりと女性が入ってくる。
「もう言葉もお忘れですか、陛下?」
「……」
 バヤジットの瞳孔が、ゆっくりと開いていく。
 褐色の顔が、よく引き締めている。髪は黒く、身体は小柄だが、無視できない存在感で、一回りも二回りにも大きく見えた。
 目、鼻、口とどれも派手さはないが、形は理想的に整い、それがバランスよく配置されている。妖艶な色気が漂い、特に黒真珠のような瞳が、濡れ光っていて、まるで誘うようであった。
 簾の穴を通して、狂気の男と危険な女が、視線を絡ませ合う。その間に、カラタイ将軍が割り込んだ。
「ドラゴンは、最強ではなかったのか、竜の巫女よ」
「いいえ、ドラゴンの強さは、竜騎士の能力で決まるもの。陛下の部下が、脆弱過ぎるのです」
「言うたな」
「ふふ」
 ターラは、妖しく笑う顔を扇子で隠す。細身の紫色のドレスは、胸元が大きく開き、腰から脚にかけての優美な曲線をくっきりと浮かび上がらせている。また、深く切り込んだスリットからは、美しい脚が垣間見えている。
「ええ言いますとも。かわいそうなドラゴンたちの為にもね」
 ターラは、将軍たちの背後を歩いて、上座へと向かう。
「竜の巫女様、どうぞお許し下さい……」
 将軍たちは、鼻の下をテーブルに着くほどに伸ばして、だらしない笑顔で媚を売る。
 その剥げた頭を、しなやかな指で撫でながら、ゆっくりと進む。この女の前では、如何なる男も、食虫花に引き寄せられる虫に成り下がってしまう。
「竜の巫女よ――」
 簾の前で、恭しく頭を下げる。その簾の奥から、擦れた声がもれてくる。
「余は、あの男に勝たねばならぬ。この命も尽き果てぬ前に」
「ええ、分かっております」
「如何に?」
「大地の竜の命を、お吸いなさない」
 氷のような声が、静かに響き渡った。


 ――パールの森。
 漆黒の雲が、エルフ軍の拠点目掛けて動き始めた。これに、アルトゥーリンの周辺が慌ただしくなる。
「ようやく逃げ回るのに疲れたらしい。卑怯者が出てくるぞ!」
 アルトゥーリンは、革の手袋を絞め直しながら、勇ましく言う。これに部下達が威勢のいい声を上げて答えた。
「バヤジットはともかく――」
 活気付く戦士たちを横目に見ながら、戦闘準備を整えるアルトゥーリンに、その腹心がそっと耳打ちする。
「あの御仁の思惑が気になります」
 これに、アルトゥーリンの手が止まった。
「……兎に角、勝ち続けることだ」
 虚空を睨みながら、重く呟く。
 首から下をすっぽりと覆っていたマントを跳ね除ける。樹齢数百年もあろう木々の葉の間をすり抜けて来た崇高な光りが、その姿を眩しく照らす。
 軽くするために露出度は高い。
 薄い胸を、ベールのような薄い衣を巻いて包み、胸の谷間にエメラルドの金具を嵌めて留めている。また、腰を金モールで縛り、胸と同じ衣を前垂れにして、T字帯の上を覆っている。折り込まれた金の糸が、恰も葉の葉脈のように見えていた。
 そして、背中には、七色に煌く蝶の羽が広がり、幻想的に煌いている。
「行くぞ!!」
 一斉に、エルフの戦士達が舞い上がった。
 直ちに、巨大な黒い雲の前から、雁行型に飛ぶワイバーンの編隊が殺到する。一方、エルフ軍は、4人一組で弓矢の鏃のように編隊を組む。
 エルフが矢を射る。全ての矢は、風の精霊王の加護を受けて、当たれば、小さな台風を作り出す。
 竜騎士が槍を投げる。全ての槍は、ドラゴンの念動力により、標的を追尾する。
 緒戦で、互いにほぼ同数の損害を出して、両軍は高速で交差する。それから、両軍入り乱れてのもみ合いとなった。
 激戦の中、徐々に、黒い雲が低く垂れ込めてくる。
「嫌な感覚だ……」
 アルトゥーリンは、眉間を寄せて、怪訝そうに呟く。
「広く薄く放電するつもりなのでしょう。ご懸念には及びません」
「ああ」
 腹心の返答に、アルトゥーリンは強く黄金の剣を握った。心を乱している場合ではない。渾身の一撃を、確実に、サンダードラゴンへ命中させる。それが彼女に課せられた義務である。雑念を振り払い、自らに役目に、精神を集中させた。
 エルフ軍は、一人を司令塔としている。そして、一人を囮にし、残りの二人の張る網へ、ワイバーンを誘い込んだ。
 ワイバーンに絡み付いた網は、瞬時に魔法が発動して、羽のように軽かったものが、鋼鉄のように重くなり、ワイバーンを重力地獄へと引きずり込む。
「第二戦隊、攻撃始め!」
 次々に墜落するワイバーン。すかさず、アルトゥーリンが、新たな命令を下す。
 後方に待機していたエルフたちが飛び立ち、地に伏したワイバーンへ木の杖を投げ落とす。
 杖は大地に突き刺さると、森の精気を吸って、強靭な蔦となりワイバーンを縛った。そして、その生命力を吸って、大輪の赤い花を咲かせる。
 劣勢を知ってか、黒い雲から、凄まじい稲妻が発せられる。一撃で、数隊が消滅した。
 エルフの戦士達は、障害物のない天空から、針葉樹の大木が生い茂る山中の森へと転進する。
 その時、地中からグランドドラゴンが出現して、灼熱の炎を吹く。
 だが、エルフ達は、腰の皮袋から『ウンディーネの宝玉』を投げ落とす。忽ち地面に水が溢れて、グランドドラゴンを水没させてしまう。
「圧倒的だ。我が軍は!!」
 アルトゥーリンは満を持して、黄金の剣へ魔力を注いでいく。

「始まったな」
 柱の傍らに立つ、オーギュストが俄かにほくそ笑む。眼下では、エルフの戦士と竜騎士が、烈しい戦いを繰り広げていた。
「有効射程内を確認しました」
 算盤を弾き終えて、刀根留理子が告げる。
「よし――」
 オーギュストは、満足そうに頷く。
「安全弁解除」
 これを合図に、ドワーフたちが壁に埋め込まれたハンドルを回す。ゆっくりとルーン文字の刻まれた丸い蓋の上下左右四箇所に、食い込んでいた棒が引き抜かれていく、
「開門用意。最終安全確認」
 オーギュストは徐に手を上げた。
 その時、サーシャが顔色を変えて叫んだ。
「お待ちを。山麓の森に発光信号です」
 慌てて、一同が足元を凝視した。
「退避勧告は?」
 ベアトリックスが問い、「出ている」とルイーゼが答える。ベアトリックスは「無視致しましょう」と進言したが、すかさず「念のために解読だけでも」と、サーシャが反論した。
 だが、その時にはもうオーギュストは走り出していた。

 広葉樹の森の中で、車輪が窪みに嵌まって、馬車は全く動けなくなっていた。
「もう無理です」
「分かりました。歩きましょう」
「それは無茶です」
 馬車の中で深刻な会話が続いている時、その外側は、もっと危機的な事態になっていた。無数のゴブリンが襲い掛かっている。
「どうして、こいつら、こんなに凶暴なんでしょう」
 僧兵たちは、馬車を取り囲み、杖を振り回して、必死に戦っている。杖の先端には、エリースの加護を受けた聖なる光りが灯り、低級のゴブリンならば、それで追い払える筈だった。
「ドラゴンの影響で、バーサク状態にあるのだろう。危険だ」
 先輩格の僧兵が、震える声で答える。
 そして、追い詰められた彼らの頭上へ、最も躯体が大きいゴブリンが跳び上がった。
「ひぃ……、た、盾になれ!!」
 僧兵達は一枚の壁のように腕を組み、身を挺して馬車を守ろうとする。
 その時、跳んだゴブリン目掛けて、ウリボウの大軍を突進していく。ゴブリンが、小さなウリボウに戸惑うと、その群れの中に、香子が混じっていた。
「成敗!!」
 閉じた鉄扇で、渾身の一撃を繰り出す。
 ゴブリンが絶叫しながら大地を転がる間に、馬車の周りに親衛隊が駆け付けて、他のゴブリンの接近を許さない。
「おお、親衛隊だ」
 僧兵達が安堵の声をもらす。
「メル、大丈夫か?」
 オーギュストが、馬車の扉を開ける。
「陛下」
 メルローズが、オーギュストに抱きつく。
「来て下さると信じておりました」
「ああ」
 オーギュストは優しく微笑んだが、時間を無駄にしない。メルローズの腕を首に導き、自らの腕を太腿の裏へ差し込んで、抱き上げた。
 しかし、ドレスの裾が扉の金具に引っ掛かってしまう。メルローズは迷わず、自らの手で、ドレスを破り割いた。黒いガーターストッキングの脚が晒させても構わず、今度は自分からオーギュストの首へ手を回す。
「お待たせしました」
「よし」
 オーギュストは、メルローズを抱きかかえて、一目散に走り出した。
「ここはお任せを」
 途中、ランとすれ違う、オーギュストは「頼む」と言い残して、去っていく。
「さあ、ゴブリンども!」
 ランは駆け、そして、跳ね、馬車の上に乗り移る。
「今日のオーキッドブレイドは、血に飢えているぞ!」
 剣を肩に担いで、見得を切る。その足元をアンが歩く。
「大方終わったようね。血が流れた。他の妖魔が集まる前に退却するぞ」
「アンの言う通りだ」
 アンの指揮で、退却が始まった。
 馬車の上で一人寂しく立ち尽くすランは、トイレに行って出遅れた事を、涙を流して後悔していた。

 オーギュストは洞窟の入り口へ急ぐ。一瞬、様子を探るために空を見上げた。
「あれは?」
 雲の切れ間から、サンダードラゴンの禍々しい姿が垣間見えた。
「拙い。来るぞ!」
 表情から余裕が消し飛んでいる。前方のゴンドラを見詰めて、必死に残りの歩数をカウントダウンする。
「間に合え」
 絶叫しながら全力で跳んだ。その横顔が、鮮やかな閃光で照らし出される。

 黒い天幕で囲まれた中で、バヤジットは、ぐつぐつと煮え滾る大きな釜の前に立っていた。
 竜騎士の身代わりである藁人形が、一つ、また一つと釜の中に投げ込まれる。吹き上がる湯気は、まるで意思を持っているようにバヤジットの腕にまとわり付いていく。
「うっ……」
 微かにバヤジットが呻くと、指先から肩へと水ぶくれが重なり合うように、連鎖的に発生していく。
 そして、限界まで膨れ上がった水ぶくれは、一斉に弾けて、一筋の青い稲妻を発した。
「天も地も、未来も過去も、生命ある者はその血の一滴まで滅びよ!!」
 地獄の底まで轟きそうな、呪いの言葉を放つ。


 稲妻の嵐が吹き荒れる。大地が、割れ、陥没し、隆起する。命あるものは、地上にも空にも居場所はなく、形あるものは、一切の例外なく、強大な力で打ち砕かれていく。
 もはや彼らに枯葉一枚の価値もない。
 地中に飲み込まれるか、風に切り刻まれ、稲妻に焼き払われるか、どちらかの過酷な運命だけが待っていた。まさにこの世の終わりを思わせる。


 暗闇の中、オーギュストは座席を剥がして、中から円筒形の物体を取り出した。少し曲げると、黄緑色の光を発し始める。それを手摺に引っ掛けた。
「地震で安全装置が作動したのだろう。すぐに自動修復する」
「はい」
 最後尾の席に坐るメルローズが、大きく頷く。その瞳には、微塵の疑いも混ざっていない。
「怪我は?」
「大丈夫です」
 やや緊張を残した顔を上下に動かす。
「それから一言言わせて」
 真剣な声で言いかけると、メルローズが神妙な顔で制した。
「自分から言います。無茶でした。ごめんなさい」
 手を膝の上に置き、背筋をピンと伸ばして、きちんと頭を下げる。
「まぁそんなに畏まらなくて」
 オーギュストは笑う。
「前にも言っただろ。君に降りかかる火の粉の盾になる、と(第53章参照)」
「はい」
「それから、俺は、女の子の無茶に、結構、慣れているから」
 下手な冗談を言って、勝手に照れてしまう。
「ただ、一言相談して欲しかったな」
 そして、気まずそうに頭をかきながら、備え付けのポットから紅茶を注いだ。
「ここは寒いから」
 片膝をついて、カップを手渡す。
「ありがとうございます」
 メルローズは、ばつが悪そうにはにかんで受け取る。そして、オーギュストが自分の分を注ぎ始めると、慌てて「自分が」と呟いたが、「もう終わる」と返されて、耳まで真赤になってため息をつく。
「今、走りながら気がついたけど、どうやら俺は、女性に勇気を与える特異体質のようだ。バルキリー(勇気)の精霊が取り付いているのかもしれないな」
 穏やかな笑顔で、オーギュストは紅茶をすすりながら言う。
「そうかもしれませんね。でも――」
 メルローズは、明るく微笑んだ。
「でも、姉上だと。ヒューリー(怒り)かも」
「そうだね」
 二人は声を出して笑ったが、ティルローズの名を出した事で、徐々に、息が詰まるような空気になっていく。
 居た堪れなくなったオーギュストは、立ち上がると、糸電話を取り、「どうか?」と訊ねて、「そうか」と頷いた。
「もうすぐだから」
「はい」
 オーギュストは背を向けたまま言い、メルローズは俯いて小さな声で頷いた。長い沈黙のあと、ゴンドラに大きな衝撃が加わり、ゆっくりと動き始めた。
「こいつは、ダークエルフの王がね……」
「はい」
「ダークエルフは、シダ植物が好きでね……」
「はい」
 沈黙に耐えられず、オーギュストは、下らない薀蓄を語り始める。
「だから――」
 徐々に苛立ちが態度にも表れ、オーギュストは、繰り返し、乱雑に右拳を左手にぶつけていく。
「俺が言いたいのは――」
 突然、壁に掛かっていたレンチを取ると、外のレールへ投げた。再びゴンドラは急停車する。
 その烈しい揺れの中で、まっしぐらにメルローズの元へ走った。メルローズも、躊躇わず立ち上がる。
「ありがとう」
 そして、強く抱き締めながら、万感の思いを告げる。
「君を失う恐怖が、俺を正気にさせた……」
 自然と、背中に回した手に、力が入る。
「非情な戦鬼から、人へ戻る事ができた。ありがとう、来てくれて」
「はい……」
 メルローズは、うっとりと瞳を閉じて、オーギュストの厚い胸へ頬を寄せる。オーギュストは、メルローズの金髪をそっとすくい、抱き寄せながら、その豊かな黄金の海へ顔を埋めた。
 豊饒な胸が潰れて、張り裂けそうな心臓の鼓動が、オーギュストの胸を叩く。まるで心のドアを開いて直ちに屈服せよ、と言っているようである。
「……」
 メルローズは、ときめく心に揺り起こされて、不意に熱く潤んだ瞳を上げて、オーギュストを見詰めた。
 その輝く瞳に魅了されながら、オーギュストは、その花びらのような唇に、一度軽く接触すると、「これからも、ずっと、この世界に俺を繋ぎとめてくれ」と熱く囁いた。
 答えようと唇が微かに開いたところを、荒々しく奪った。言葉のやり取りを、もはや必要としない。
 舌を差し込む。メルローズは戸惑い、一瞬拒みかけたが、徐々に唇を開いて、受け入れていく。舌と舌が絡め合い、唾液と唾液が混じり合う。
「んん……」
 小さく鼻を鳴らした。
 その切なげな鼻声を聞きながら、オーギュストは、一旦腰を屈めて、下から体全体を使って、たわわに実った果実をすくい上げる。それほどの存在感が、それにはあった。
 少女期を終えた果実は、脂肪をたっぷりと乗せて、豊かな球体を形作っている。しかし、その少女期の名残のように、内部に堅さを隠しもち、誇らしげにツンと上を向いていた。
 左右の乳ぶさをもむ。ずしりと指に重さが伝わってくる。まるでこの世のものとは思えぬやわらかさで、指を押し込めば、何処までも沈んでいくような錯覚がした。
「んんん……んン」
 堪らず、可憐な吐息がもれる。唇ごと吸い取られるような感触に、メルローズの息遣いが荒くなっていく。
 激しい動悸に、胸が上下する。ぷるぷるとまるでプリンのように震える。その頂には、飾りのようにぷっくりと乳首が固く立ち、白い肌との境目がぼんやりとした淡い桜色の乳輪が添えられている。
「ふぅああぁ……」
 オーギュストは、歓喜に震えながら、それを口に含む。直ちに夢中となり、乳首を舌先で突き、舌腹で弾くように舐め上げ、そして、啄ばむと音を立ててしゃぶった。
――わ、私が吸われていく……。
 まさに魂が薄くなっていくような気分だった。その空白を、忽ち、甘い快感が埋めていく。
 こうやって女は変わっていくのだろうか、とぼんやりと推量した。二人の姉が通ったように、自分が大人の女性になろうとしている、と確信した。しかし、微塵の恐怖もない。なぜなら、きっとそれは愛する男との契約なのだから。
 頭が眩み、膝が崩れて、もはや立っていられない。倒れる身体を、オーギュストに支えられて、座席に横たわる。破れたドレスが自然と捲れ上がっていた。
「……」
 乙女らしく、膝をしっかり閉じている。しかし、途切れる事のない情熱的な愛撫に、シルクの白いショーツに覆われた腰が、弱々しく捩れ、黒いガーターストッキングの脚がもじもじと擦り合うことを止められない。
「つっ……」
 ぐっと強く歯を噛み締めた。
 魅惑の乳ぶさを離れて、オーギュストの右手が、滑るように、下半身へ向かう。
「いやぁ……」
 手が股間に至ると、本能的に脚を強く閉じて、手をはさみ込む。
 しかし、オーギュストは、すでに割れ目の上に指を添えていた。ゆっくりと決して焦らず、指を上下させていく。
「ううん」
 触れられた場所が火を吹くように熱く感じられる。その熱は、身体の芯を通って顔へと至ったらしく、ぽーと頬が上気していくのが分かる。さぞふしだらな顔をしているのだろう、と思う。羞恥に心が震えた。
「かわいいよ」
 全てを見透かされたように、耳元で囁かれる。
――ああ、この人に魅入られてしまった……。
 上品に言えば、女神の懐に抱かれたよう。もっと俗っぽく言えば、まるで蜘蛛の糸に捕らえられて蝶のような気分であろう。観念するような思いがこみ上げてくる。そして、腕を首に絡めて、自ら口付けを望んだ。
 オーギュストは、何度も舌を絡ませる。そして、舌を吸い、唾液を搾った。その間、太腿で挟まれた右手に軽い痺れを感じながらも、巧みに指先を動かして、ショーツの縁から直に秘唇をなぞり始める。
「う……ンンンッ!」
 メルローズの背中が烈しく反る。そして、再び丸くなり、さらに烈しく大きく反り返った。
まるで若鮎のように暴れたが、オーギュストの唇は、唇を啄ばみ続け、右手はしっかりと秘裂に食い込み、左手は乳ぶさを揉み揺さぶっている。
「ひぃ、いいいいッ!!」
 ついに、メルローズは白い喉を突き出し、頭を後ろに折り畳んだ。自由になった口から、喘ぎ声を発している。同時に、閉じていた腿も弛んで、掻き回される卑猥な水音を、ゴンドラの中に反響させた。
「――――――! あはぁあぁあぁぁぁッ!!」
 思うさま絶叫する。そして、白い闇が脳裏を包んで、暫し記憶が飛んでしまう。
「うう……んん?」
 おぼろげに意識が戻った時、太腿を小脇に抱えられていた。そして、両手は所在なさげに、頭上に投げ出されている。
――ああ……いよいよ、なのね……。
 虚ろな眼差しに、迫るオーギュストが映る。心に、麻のような乱れが生じた。恐怖でも、罪悪感でもなく、ただ圧倒的な性の威圧感に慄いている。
 もう実質的にも、形式的にも、後戻りはできない。近しい人々を裏切る罪、それを背負って生きていく覚悟をしなければならない。
「は――……」
 入り口に添えられる。じわりじわりと蜜が巨槍に滲んで、濡れ光らせていく。
「はぁはぁ……」
 メルローズは人差し指をかんだ。股間の奥から昂ぶる想いが膨らんでくる。この想いが、巨槍を引き寄せるのだろうか、と埒もないことを考えている間に、ゆっくりと、膣口が広げられた。
「さ、さけるぅ……」
 思わず本音がもれてしまう。自然に羞恥心が働いて、顔を両手で覆った。黒く翳る指、その隙間から、覆い被さるオーギュストが見えた。まさに巨人のような威圧感である。思わず息が詰まってしまった。
「……んっ」
 一方、すでに、槍先が半ばまで潜り込んでいた。無意識に異物を押し戻そうと、ぎゅっと膣肉が締まっていく。
 白い肌に汗を滲み出る。背筋に痺れたようにぞわぞわと微震し、電撃に撃たれたように手足が跳ねる。
「メル、これが俺だ」
 オーギュストは、満を持して太腿を下ろした。魔を思わせる二つの胸のふくらみと魅惑的な丸い尻の間で、細くくびれた美しい腰をしっかりと掴んで固定した。そして、巨槍をぐいぐいと一二度捻ってから、徐にぐぐっと腰を押し込んだ。
「はっ、ガッ、ガぁああん」
 メルローズは目を剥く。そして、大きく口を開いて、まるでピストンを股間から押し込まれて、体内の全空気を吐き出したように喘いだ。
「……ッ!」
 もう一欠片の声もできない。そこまで追い込まれる。そこから、ゆっくりと異物が引き抜かれていく。ぽっかりと巨大な空白が女性の急所に生まれている。そして、メルローズの心の内に潜んでいた烈しい感情が、そこへ吸い出されたように流れ込む。
「ぐっ、うぅ……ふう……」
 そして、巨槍が浅く出入りすることで、その感情は、増殖膨張を繰り返して、鮮やかな極彩色の化け物じみた姿へと成長を遂げていく。
「うぅ、んん……ん」
 エロティックな陶酔の兆しが、眉間や目元、そして、口元に浮かび上がった。
 再び衝かれる。今、生まれたばかり感情が押し出されて、全身へと流れ出す。
「ンゥウウウウ!」
 メルローズは突っ張るように強く手足を伸ばした。限界まで伸び切ると、小刻みに痙攣し始めた。
 薄暗いゴンドラの室内が、平面的に見えてくる。光と物質が滲むように交わって、幻想的な光景となった。そうして、次第に意識が途絶えていく。
「今はゆっくり休め」
 オーギュストはメルローズの扇情的に広がった髪を撫でる。
「徐々に俺という存在を覚えていけばいい。お休み」
 そして、優しくキスをした。


 ――廃墟と化したエルフの砦。
 同じ大きさの小石を、時間をかけて探してきて、丁寧に積み上げられた壁。巨大地震にも崩れることはなかったが、稲妻の直撃を受けて、木造の屋根が吹き飛び、上部が波を打つように削られている。その壁の残骸に、深緑色の厚い幕が張られていた。
 煤塗れの壁の前に、囚われのアルトゥーリンがいた。すでに戦闘服は剥がされて、梁から無残に吊るされている格好である。
 後手にきつく縛られ、二の腕から乳ぶさの上下を横に二本、さらに、胸の谷間から首へとV字形に、縄が走っている。
 また、脚は、M字形に開かれて、膝の下で、太腿と脹脛がぐるぐると何重にも巻かれている。そして、両脚と背中から、頑丈な縄が天井へと昇っていた。
 だが、アルトゥーリンは、顔色一つ変えず、バヤジットを睨んでいた。
「お前が竜騎士の大将か?」
「恐れ入ったぞ――」
 バヤジットは、まるで少年のように眼を丸くする。そして、嬉々として、口を大きく開いた。
「このような姿で、まだ、そのような目付きができるとは。驚愕に値する!」
「他人の裸を見て喜ぶのは、ゴリラと人間ぐらいだろう。最近ではゴブリンでさえ服を着ると言うのに……ふふ」
 些かも気後れすることなく、アルトゥーリンは、平然と答えて、さらに冷笑してみせた。とても囚われの身とは思えぬ豪胆さである。
「ほお」
 三白眼の目に狂気が宿る。もはや戦い以外に興味を感じなくなった心に、「この亜人の王を屈服させるのも一興だ」と沸き立つような気分が起こった。
「どうやら、この肉体が目的らしいが、ふふふ、どうだ、美しいであろう」
 深碧の瞳が、射るような輝きを放ち、薄い唇が歪んで笑う。
「望むならば、攻め殺してやろう」
 バヤジットは、手始めに、くすぐるように脇腹を撫でる。
「どうだ?」
 しかし、アルトゥーリンは、余裕たっぷりに微笑み、よく通る声を放った。
「最上級のシルクを超える肌触りであろう。気をつけろ。中毒になるぞ」
 純白のビロードを思わせる美しさ肌は、その言葉通りに、極上の手触りで、触れた指先を、ぴったりと貼り付けて離さない。
「……」
 バヤジットの手が、小振りな乳ぶさを掴んだ。蕾のような弾力に、指先に要らぬ力がこもる。
「無粋な男だ。苦痛を当たるのが目的か?」
 アルトゥーリンは、性悪女のように鼻で笑った。
 バヤジットは、一旦掌を離した。そして、冷酷な眼差しで、指跡が赤くなった乳ぶさの上を見たが、小粒な乳首は、全く固くなっていない。
「……」
 眉が不機嫌に揺れる。
「傷付けたのなら謝ろう。演技派ではないので、声を出す事は叶わぬ」
「……不感症女め」
 バヤジットは、低い声で罵ると、もう一方の手を股間へ差し込む。そして、荒々しく前後に擦った。
「申し訳ないが、時間の無駄だ」
 まるで見下すような冷めた瞳で、言う。
 バヤジットは、指先を上げて確かめたが、まるで乾いている。
「エルフに性欲はない。どうしても、と言うのなら、セックスしてやってもいいが、虜に落ちるのは、お前だ」
 アルトゥーリンの勝ち誇った声に、バヤジットは、内心、舌打ちした。
「蜘蛛女を気取るのも大概にしろ」
 右手を、大きく振り抜き、アルトゥーリンの頬を叩いた。
「別の快楽を、その身体に刻んでやろうか」
「それじゃ、鼻血も出ない……」
 頬に痣が出来ている。それでも、アルトゥーリンの戦闘的な姿勢に変わりはない。
 その時、外が騒がしくなった。
「申し上げます」
 幕の外から声がする。
「何事か?」
「敵が動き出しました」
「うむ」
 バヤジットは振り上げた手を下ろすと、踵を返した。
「待っておれ。時間をかけて調教してやる」


 ――五つ星神殿。
「どうか?」
 オーギュストは、白いマントを肩に羽織ながら、ゆっくりと神殿の回廊を歩くと、天蓋付の壇に上る。
幕僚の女性たちが、一斉に敬礼して迎えた。
「サンダードラゴンが、ユーグへ戻ります」
 刀根留理子が、下界を指差して、報告する。
「ほお」
 オーギュストは、エスプレッソコーヒーを受け取り、一口飲んでから、一声唸った。
「ユーグへの奇襲部隊が発見された、と思われます」
 淡々とした口調で、ベアトリックスが進言する。
「ロックハートと連絡は?」
 留理子が首を横に振る。
「そうか……」
 オーギュストの顔が、少し険しくなった。
「もはや一刻の猶予もありません」
 ルイーゼは、やや熱のある声を発した。
「しかし、この距離は想定外です。予定の威力は出ません」
 サーシャは、作戦決行に、消極的な反応を示す。
「陛下、ご決断を」
 ベアトリックスが、再度進言する。
「……」
 オーギュストは、ライ・ダーライアを見た。彼女は一枚のカードを捲って、小さく頷く。
「止むを得まい」
 サーシャへ視線を送り、諭すように囁く。
「……はい」
 サーシャは頷く。そして、ドワーフへ指示を伝えた。
「開門!」

 ルーン文字の刻まれた車輪が、甲高い軋む音を響かせて、ゆっくりと回り始めた。壁と擦れて、大量の粉塵を吐き出す。
 次第に回転は滑らかになる。そして、車輪から、幾十の魔法陣が、留金の外れた蛇腹のように前へ押し出された。
 一方、壁には、蓮根のような複数の穴が現われている。その穴から、凄まじい勢いで水が溢れ出てきた。
 水門である。
 背後には、氷河の莫大な水が、蓄えられていた。それがルーンの龍化の魔法陣を通して吹き出ていく。
 白い山頂から、澄み切った水が、幾つかの筋となって、宙に幅広く撒かれる。それらは緩やかな弧を描きながら落下し、絡み合い、一本となって、地面へと注がれていく。しかし、地面へ垂直にぶつかる寸前、先端が龍の顎となった。龍の目が開くと、髭を靡かせて、急転上昇を始めた。
 高さは速さとなり、速さは力をなる。
 青白く輝く龍は、ドラゴンの魔でくすんだ空間を切り裂いて伸びていく。
 だが、サンダードラゴンに到達する前に、その姿は細り、伸び切った尾からは、滴が、五月雨のように、途切れ途切れに剥離していく。
 それでも、頭部が、サンダードラゴンを直撃する。

「あれでは、破壊できない……」
 オーギュストは呟く。
 その言葉どおり、サンダードラゴンは、体勢を崩しながらも墜落とまでは行かず、巨大な翼を何度も上下させて高度を上げつつ、大きく旋回して、こちらへ顔を向けようとしていた。
「キーラは……」
 名を呼ばれて、壇の脇に控えた列から、護衛のキーラが、一歩前に出た。
「俺に羽を用意しろ。あと弓も」
「はい」
「零距離射撃で、エンジェリックブレイドを撃ち込む」
「はい」
 一礼して、キーラは武器庫へと足を向けかける。その時、メルローズが、奥から出てきた。
「お待ちを」
「メルローズ様」
 早速、ベアトリックスが前へ出て、さすがの貫禄を見せて、諌める。
「ここは、総司令部です。ご遠慮下さい」
「いいえ」
 しかし、メルローズは怯むどころか、逆に威厳あふれる声で拒んだ。
「わたくしは、この為にここに来たのです。ご覧下さい!」
 そして、舞台の主役のような躍動美を感じさせる仕草で、麓を指差した。

 龍を形成していた氷河の水が、その姿を保つ事ができずに、キャンパスに描かれた長い直線から絵の具が垂れるように、水が滴り落ちている。まるで羽衣のようなカーテンが、麓の森の上で、優雅に風にそよいでいるように見えた。
 ここに、一匹の鯉がいた。
 その降り注ぐ滴を、重力の束縛に逆らって昇っている。
 何度も何度も、落下しかけたが、その度に烈しく尾鰭を振り乱して、跳ねるように翔け昇っていく。見ていると思わず、顔に汗をかいている必死な姿を想像してしまう。
 ついに頂上に至る。その瞬間、神々しい光が、体の殻を打ち破って解き放たれた。そして、神秘的な光の塊が徐々に伸びて、一気に天へと昇った。

「ガンガンジーか……」
 オーギュストが懐かしい名を呟く。その周りでは、感動の余り、頬に熱い涙を流している者が続出していた。
「陛下」
 呆然とする者たちを余所に、メルローズは、ゆっくりと頭を垂れる。その背後では、彼女の家臣たちが、グングニルの槍を差し出している。
「ペルレス……お前まで来ていたのか?」
「御意」
 オーギュストは渋い表情をした。それから、表情を和らげて、メルローズを見た。
「感謝する」
 オーギュストは、槍を取り上げて、ドラゴンの咆哮轟く下界へと歩く。
「御武運を……」
 その背に、メルローズは懸命に祈りを捧げた。
 オーギュストが、柱の横を過ぎる。肌を氷るような風が切る。すでに神殿の境界を越えている。足元に床はないはずだが、正面を真直ぐに見詰めて、足の運びにそれまでと全く変動がない。
 足元には、白い龍が滑り込んでいた。オーギュストは、その背に歩いて頭部に達する。そして、槍の柄で、龍の頭を小突いた。
「また女にカッコつけて」

 ドラゴンから漂う墨色の雲の中を、白い龍が泳ぐ。その先には、翼を広げた巨大なサンダードラゴンが待ち受けていた。
 大河を思わせる野太い稲妻が、大雷鳴とともに縦横無尽に走る。それらを、龍は、必死にかいくぐる。
「まずは」
 稲妻の通り過ぎた後に、龍が巧みに回り込んで、オーギュストは弓を引いた。矢は、エンジェリックブレイドを変形させている。
「ハッ」
 流星のような尾を引いて、エンジェリックブレイドが飛ぶ。しかし、サンダードラゴンは急旋回して、エンジェリックブレイドの軌道から外れた。そして、一段と巨大な稲妻を、津波のように押し出す。
「油断……」
 標的が大きい分、効果があるないは別にして、避けられるとは思ってもいなかった。その心の隙によって、オーギュストの回避行動が遅れた。
「ちぃ……ッ」
 仕方なく、ライトニングドラグブレイドを捨てる。剣から発する雷の魔力は比べものにならないが、呼び水にはなった。サンダードラゴンの凶暴な稲妻は、直撃寸前で鋭く曲がり、落下する剣を追いかけていった。そして、有り余るエネルギーで、瞬時に消滅させた。
「始めよう……」
 オーギュストは、腰から魔法瓶を取り出して、静かにピペットで流体(第57章参照)を吸い上げた。それは適度な粘液があり、七色の光がマーブル模様に混じり合っている。時代を超えて伝わる呪の塊であり、幾多の人の手を経て濃縮した魔術の結晶である。それを、右腕を守っているシダ植物の盾と一体になっている烏口へ注いだ。
 線が引かれる。途方がないほど鋭利で、そして、神秘的なほどなめらかで、美しい。
 鮮やかにくっきりとした線は、あらゆるものを二分する境界となる。今、この澱んだ世界は、線の上下に強制的に分離された。物体、液体、気体どころか、光や音、尚且つ、時間さえも越えることを許されない。触れれば、この世の全ての物理法則を超えて、如何なる存在も、切断せざるを得ないだろう。
 白い龍は、風のように疾走し、烏口から紡ぎだされた線も延びる。
 しかし、それで機動力に優れるサンダードラゴンが斬れる訳ではない。何度も白い龍と線が、その傍らを掠めて通り過ぎていく。だが、上や下に線が延びるにつれ、次第にその全容が明らかになっていく。
 無防備に接近する龍を噛み砕こうとして、サンダードラゴンが吼えた。それは勝利の雄叫びではなく、線が邪魔で思うように動けない、憤りの叫びだった。
 線は次第に形を見せ始める。ドラゴンを囲む鳥篭が、天空に描き上げられた。
 もはや一刻の猶予もない。完全に閉じられる前に、鳥篭を出なければならない。
 サンダードラゴンは、窮屈そうに首を傾け、不器用そうに翼を畳むと、唯一の出入り口へ滑空する。
 だが、その一部始終を、凍て付く赤瞳が見詰めている。
 オーギュストは、大きく旋回して、サンダードラゴンの前に回りこむ。そして、グングニルの槍を構えると、すれ違いざまに、正確無比な投擲を行った。
 槍は一ミリの狂いもなく、サンダードラゴンの脳を貫く。
 オーギュストは、快心の笑みを作り、拳を力強く掲げた。その時、目の前をピンポン球ぐらいの小さな玉が通り過ぎていく。一瞬、緊張が体中に漲ったが、すぐに、それに実体がないことに気がついた。
「幻影か……?」
 疑問が声となって紡がれた瞬間、背後から、黒い人影が襲ってきた。
 咄嗟に跳ねて、その凶刃をかわす。ここが地上から遥か彼方の天空である事を思い出したのは、重力加速度をその体で感じ始めた後だった。
 すぐに、龍を見る。しかし、サンダードラゴンが、最期の力で、龍を掴み、地獄の道ずれにしようとしている真っ最中である。
 間に合わない。
 声にならない声で叫ぶ。そして、瞳を目まぐるしく動かした後、はっとした表情で、森の残骸を見て、手を翳した。
 パールの森は、豊かな緑を剥がされて、無残にも、無垢な土壌を露にしていた。その荒れた地表に、黄金の剣が、泥を被って転がっていた。
 オーギュストの手に呼応して、黄金の剣が眩く輝き、表面を覆っていた黄金の殻を破った。忽ち、大木の幹となり、天空高くと伸び上がっていく。
 星の中心へ向かって落下していたオーギュストの体が、枝に引っ掛かって、ようやく止まった。
「はあ……助かったぁ」
 不甲斐なくも、安堵の息を落とす。
「薄汚い体液をぶちまけた、カエルのような姿を拝めると思ったが、なかなかどうしてしぶといな」
 幹のさらに高い所から、しわがれた声がした。
「蛙帝の諡号は、興を削がれる――」
 オーギュストは、立ち上がると、襟を直す。
「何より、賢くて、慎ましい娘達が泣く」
「……」
 バヤジットはピクリとも顔の筋肉を動かさない。
「皇帝と呼ばれる者同士、胸襟を開いて語り合うのも、一興かもしれんが、貴公のようなボンボンと違って、俺は能力だけが取得の男、そう深い縁があるとも思えんし、これ以上無理しても、話題は続くまい」
「会話など不要――」
 バヤジットは失笑する。
「俺はアンタと殺し合いができれば良い。もう雑魚を潰すには飽きた」
「結構。足場は少し悪いが、天には近い。皇帝が、二人、殺し合うには調度いい」
 オーギュストは不敵に笑う。そして、バヤジットは狂気の目を細めて構える。
 右手は小指を畳み、親指を寄せて、翼のように大きく広げる。一方、左手は、小指と薬指を畳み、親指、人差し指、中指の三本で鉤爪を表した。
「竜騎士の闘い方を教えてやる」
 バヤジットが動く。
 左の肘が先行して、手首が遅れて出てくる。長い腕を十分にしならせて、鋭く抉る。
――浅い。
 オーギュストは、冷静に、姿勢を乱さない程度に体を反らして、かわす。しかし、眼前を鉤詰めが通り過ぎた後、青い稲妻が、襲ってきた。
――ちぃっ!
 仕方なく、体勢を崩して、後方へ仰け反った。そこへ、すかさず、バヤジットが右腕を大上段から振り下ろす。まさに、一本の研ぎ澄まされた剣のような切れ味である。
――……ッ!
 もはや心の声もなく、必死に横へ逃げた。
 幹が大きく砕け散った。
「はぁはぁ……」
 オーギュストは、細い枝の上で、膝をついて、肩を揺らして呼吸する。全身に痛い汗が溢れている。さらに、今の無理な動きで、足首にジンジンとした痛みが走っている。
 バヤジットは、太い幹に陣取り、じっとオーギュストを睨みつける。そして、足に刺さった刃物を抜く。
「……」
「攻撃は派手だが、荒過ぎる。残念だったな。足まで意識が行っていたら、今ので、お前の勝ちが決まっていた」
 刃物は、盾の一部で、シダ植物の小葉である。咄嗟に、千切って投げていた。
「……以前見た時には、なんと言う高みか、と驚きもしたが、いざ登ってみれば、大した事もなかった」
「興醒めしたかい? 少し早いんじゃな――」
 オーギュストの言葉が終わる前に、バヤジットは大きく口を開いた。歯と歯の間に青い稲妻の柱が立ち、弾き出されたように、オーギュストへ飛んだ。
 オーギュストは立ち上がり、腕に装着していたシダ植物の盾を構える。複数の葉が、稲妻を捕らえた。
「避雷針は万全か?」
 バヤジットが笑う。
「だから、判断が早過ぎる、と言っている」
 腕の血管が脈打つと、左右対称の葉が回転し始め、巨大なドリルとなった。
「どりゃ!!」
 豪快に突進すると、幹が無残に抉られる。バヤジットを軽やかに跳んで、新たな武器に対して、慎重な視線を送った。
 二度、三度と、オーギュストは、シダ植物のドリルを振り回す。しかし、体術で勝るバヤジットを、大振りで捉えることはできない。
――これまでだな!
 ついに、バヤジットは、勝利を確信して、口の端を上げた。だが、その直後に、ドリルが細っている事に気づいた。
――小葉がない……?
 脳内で烈しく警鐘が鳴る。情報を求めて、目が四方へ走り周り、耳が広がり、肌が鋭敏になる。
 そして、小葉が、遠心力で、幹や枝に飛ばされて、突き刺さっているのを見つける。見つけた刹那、その小葉らが、黄金樹の魔力を吸って、長槍に化けるのが分かった。
 小葉の槍は、瞬時に伸びて、バヤジットの肩を掠めて、さらに伸びていく。
――切れ味は鋭い。
 ドラゴンの魔力を浴びて、硬化した皮膚と雖も、この槍に触れるのは拙い、と冷静に分析する。
――細かいコントロールは、できていない。
 二本目が逆方向から突き抜けて行ったが、十分な間隔があった。
――回転させたのは、不規則に撒くため。
 ならば、槍化するのに多少の時間的ずれがあり、さらに、距離にも、微妙なバラつきもある筈。
――数があろうと、回避できる。そして、攻撃のない場所は……!
 バヤジットは、脳の中で、そう結論を結んだ。そして、唇をきつく結ぶ。
――これだ。こんな緊張感だ。こんな戦いをするために、俺は海を渡り、山を越えてきた!
 自信に満ちた面立ちで、左右、上下、前後と素早く動き回る。それは奇妙な舞を踊っているようで、時に、後転し、時に逆立ちして、槍をどんどんかわしていく。
「勝機!」
 そして、高く飛び上がると、体を三回捻りながら、三回転して、ぴたりとオーギュストの背後に着地した。その眼前で、槍先がぴたりと止まる。
「さすがに、自分の背中を貫くことはできぬか?」
 背中と背中を合わせて、バヤジットは囁く。
「また惜しいな。小葉の槍に背中を向けられていたら、お前の勝ちだった」
 オーギュストは、眼前を埋め尽くした小葉の槍を見詰めたまま、囁く。
「勝ちを読み切った。もはや無理は不要。じっくりと勝たせてもらう」
 再び、バヤジットは勝利を確信している。このまま同時に振り返れば、身体能力で長ける自分の拳が先に当たる。たとえ左右に変化しようとも、触れ合った背中から、筋肉の動きは丸分かりである。もはや、逃げ道はない。
「貴様こそ捜し求めた好敵手よ」
「役不足だ」
 そして、両者の足元の幹がひび割れて、乾いた悲鳴を上げる。
 バヤジットは迷わず振り返り、渾身の左拳を打ち抜く。
――勝った!
 そう心で叫んだ瞬間、その瞳には、首を外側に傾げたオーギュストが映っている。
 振り返ったオーギュストは、一拍待ち、顔面に迫るバヤジットの拳を、全身全霊をもって間一髪かわした。そして、外側から右拳を打ち出し、バヤジットの左腕に巻き付けるように走らせ、その無防備な顔面を叩く。
「ぐがァ……」
 何が起こったのか、バヤジットには分からない。気が付けば、口の中に不快な鉄の味が広がり、胸の真ん中には、真赤な小葉の槍先が見える。
「……そうか」
 結果から判断すれば、カウンターを受け、後ろに倒れ、背中から体を小葉の刃が貫通したのだろう。
「だが、よくもあの場で、待てたものだ……ふふ」
「戦鬼と呼ばれるには、根が素直すぎたようだな」
 オーギュストは、折れた右の指を伸ばしながら、静かに語る。しかし、それをバヤジットが聞くことはなかった。


 ――廃墟と化したエルフの砦。
 大気が、戦いの興奮の名残ように荒れ狂っている。北から南、そして、東へ西へと、くるくると風向きが変わり、横から叩きつけるような強風が絶え間なく続く。
 オーギュストは、真鍮のノブを両手でがっちり掴んで、厚い鉄製の扉を、体重をかけて閉じる。室内は、遮音性の幕が無音で揺らめき、割れ目から、月光の淡い光が差し込んでいる。
 瓦礫をブーツの踵で踏み潰しながら、階段を下りた。梁から縄が垂れていたが、吊るされた物は存在してない。
 ソファーの影に、人の気配を察した。一歩前に出て角度を変えると、裸の少女が、膝を抱いて蹲っている。
「こ、怖い……よぉ」
 ガタガタと震えて、鳴きそうな声で怯えている。足音に気付いて、引き付けを起こしたように、いっそう烈しく震えた。そして、必死に後ずさりして、壁に貼り付く。
「俺が分かるか?」
 オーギュストは腰を落として、視線を同じ高さにすると、穏やかに声をかえた。
 少女は、瞳にいっぱい涙を溜めた顔を、小さく上下された。そのあと少し落ち着きを見せ始める。オーギュストは、戦闘用のジャケットを脱いで、少女にかけてやった。
「あ、あたしの中から、何かが消えたのぉ……」
 泣きながら訴える。
「分かっている」
 オーギュストは、優しく撫でて、なだめてやった。
「黄金の剣は、黄金樹に戻ってしまったけど、また作ってあげるから」
「本当に……」
 不安げな眼差しを向けて、アルトゥーリンは、鼻をすすった。
「ああ、前もこうやって泣くお前の願いを叶えてやったろ?」
「うん」
「でも、ちょっと時間はかかるけどね」
「……へえ?」
 また泣き顔になる。
「大丈夫、大丈夫だから」
 オーギュストは、言葉を重ねて、懸命に励ました。
「恐いの。暗いのも、狭いのも、物音も恐いのぉ。お願い、もう一度、あの気持ちをちょうだい。お願いしますぅ……」
 アルトゥーリンは、涙と鼻水を垂らしながら、必死に腕にしがみ付いてくる。
「分かった。わかったから……」
 取り敢えず、抱き締めてやる。
「ああ、温かい……」
 恍惚と胸に顔を埋める。と、はっと何かの気配に気付いた。
「ああ、感じる。あの感じがする」
 アルトゥーリンは、鼻を鳴らして体臭を吸い、肌の上にうっすらと残っていた汗を舐め取る。
「ああン、これ。これです。もっともっと……」
 まるで砂漠の渇いた動物のように、水分を求めて、舌をオーギュストの口へと押し付ける。そして、強引に割り込むと、舌を引きずり出し、唾液を啜った。
「あ、ああん、心にしみるぅ……」
 うっとりと瞳を閉じて、満足そうに唸る。
「本当に?」
「はい」
「じゃ、もっと俺の勇気を分けてやろう」
「はい」
 アルトゥーリンは、恥らうように赤く染まった顔を上げた。そして、餌をねだる小鳥のように口を開いた。そこへオーギュストは唾液を垂らしてやる。口の中に溜まった他人の唾液を、喉を鳴らして、美味しそうに飲み干す。
「ああ……ん」
 顔が法悦に輝く。そして、オーギュストの股間に頬を寄せた。
「もっと、もっと濃い物を下さい」
「仕方ないなぁ。時間がないぞ」
「はい」
 素直に頷く。そして、慌てた手付きで、まだ柔らかい巨槍を取り出すと、物欲しそうに喉を鳴らし、舌なめずりした後、舌を這わせていく。
「ううん、ううン」
 裏筋に吸い付いて、たっぷりと唾液を舌腹に乗せて、先端に向けてゆっくりと舐め上げていく。自然とかわいらしく鼻が鳴り、表情がねっとり潤んでいく。
「んぐっ、う……むっ、ふぁ…ん」
 唾液で濡らし尽くすと、豊かな髪をかき上げて、深く咥え込む。抒情的な二重瞼は固く閉じて、艶かしい薔薇色の唇を窄める。
 その火照った美貌が、前後させる度に、贅沢な光沢を放つプラチナの髪が乱れた。
 ジュッポ、チュッポ。
 直ちに、淫らな水音が、口元から零れ出る。
 オーギュストは、上から、適切な指導の声を送っている。
 だが、本来セックスに慣れていない女性は、咥えることに嫌悪感がある筈だし、首を振れば痛くなり疲れてくるだろう。しかし、巨槍から漂う強烈な体臭に酔ったらしく、アルトゥーリンは、従順に随って顔を動かしていた。
 一心不乱に、しゃぶり続ける。そうすれば、さらに陶酔した気分になれる。白雪のような頬を妖しく火照り、口唇奉仕に没頭する姿は娼婦のようである。
「んぐっ、ああ……むふン」
 硬度を増すと喉の奥を突かれる。
 苦しげに、長い睫毛を震わせた。しかし、被虐の悦びを滲ませるかのように、小鼻を膨らませて、淫靡にすすり泣いた。
 それからは、一段と熱が入った。根元まで含んでは、吐き出し、また含んでは吐き出す。それを何度も繰り返し、時に、先端部分を舌で舐め回す。
 そして、上目遣いにオーギュストを見上げて、無邪気に微笑んだ。
 オーギュストの胸に、熱い想いがこみ上げてくる。プラチナの髪を撫でてやると、堪え切れずに笑いが溢れた。
――正気に戻ったら、どんな顔をするだろうか。
「呑ませて、ねえ、呑ませて」
 唇の周りをべとべと濡れ光らせて、甘く囁く。
「出すぞ!」
 オーギュストは、舞い込んだ幸運に浸って、白くマグマを噴出した。そして、アルトゥーリンは、火のついたような感泣を上げて、口に広がった肉欲の証を嚥下した。


続く


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