g_03.gif エリーシア戦記

...Record Of Ariesia War...


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第63章 奢侈淫佚


【神聖紀1233年6月】
 ※ヘルト要塞。
 ヘルト要塞の一角、急峻な石垣の上に白い塔が立っている。
 元々塔の三階は、王族のための居室であった。無骨な国柄らしく、窓は小さく、壁は白い漆喰を塗っただけの質素な造りだ。ただ南側からテラスに出ることができ、そこからの展望は、美しい。
 寝室に、黄金の家具が、所狭しと詰め込まれている。天蓋付きベッド、鏡台など、すべて遥々セリアから運ばれていた。
 潮風に揺れる白いレースの下、赤いシーツの上で、瑞々しい肢体を無造作に投げ出して、真珠のように白く輝く裸体を、妖しげ悶えさせている。
 何たる肉体の美しさであろう。
 黄金の髪は煌く天の川のように波打ち、乳ぶさは満月のように僅かな欠けも歪みもなく、腰は括れてうねり、豊臀はスズメバチのように急激に張り出していた。仄かに朱の差した肌からは、甘い蜜の香りが立ち上っているようだった。
 仰向けの身体の下から、逞しい腕が絡んでいる。魔性を帯びたように、たわわな乳ぶさを左手がもみ、悶える腰を押さえ込むように、右腕が巻き付いて、指の腹でクリトリスを捏ねている。
「ああん、アン、アン」
 メルローズの下敷きになって、オーギュストがいた。所謂、撞木ぞりと呼ばれる背面女性上位の体位である。
 オーギュストは、下からガンガンと腰を突き上げている。その烈しい衝撃を受けて、満月のように丸い乳ぶさが、零れんばかりに大きく揺れた。
「ひぁっ、くぅっひぃっ……はぅぅ!」
 メルローズは、可憐な赤い唇を開いて、苦悶した喘ぎ声を発する。
 身体が揺さぶられるたびに、極彩色に感覚が、脳へと濁流の如く押し寄せてくる。もはや前後も忘れてしまうほどに、その圧倒的な感情に翻弄されてしまう。
 オーギュストは、より深い挿入を求めて、メルローズを体から下ろし横向きにすると、その片脚を高く持ち上げつつ、背後から力強く衝き続ける。
「ひぁっ、、ひぁっ、ひぃっ!」
 メルローズは、呼吸も儘ならず、声を引き攣らせる。本能的に、高まり続ける法楽を恐れて、密着した肌を離していく。
「も、もう……」
「何処へ行く」
 それを許さず、オーギュストは、下がっていた脚を脚で挟み込み、かつ、腕をしっかりと掴んで固定する。二人の体は、まるでT字になるように交わり、所謂零松葉の体位となった。
「むぅっ、むぅう、りぃ……」
 メルローズは、刺激的過ぎる、と必死に訴えようとするが、声にならない。
「はぁっ、っぁん!!」
 そして、首を烈しく仰け反らせて、魂を吐き出すように絶叫した。


 ※翌朝
 赤い革のソファーで、オーギュストは寛いでいる。大きく口を開いて、長い欠伸をした。軍服のジャケットを羽織っただけで、脚をソファーテーブルの上に投げ出している。
「トリム攻略ですが……」
 パーシヴァル・ロックハート奮威将軍の声にも、反応は薄い。
「ルクレールに一任する」
「それでは、追撃戦ですが……」
「リューフにやらせろ」
「まだ到着されておりません」
「だったら適当な奴にやらせろ」
「……はい」
 オーギュストが不機嫌そうに手を払ったのを見て、ロックハートは、書類をまとめていそいそと退室する。
 彼と入れ替わりに、げはは、と笑って、マックスが入ってきた。
「まだ(謁見者が)いたのか?」
 深いため息をついた。
「よ、調子はどうだい?」
 マックスは、上機嫌である。
「どいつもこいつも、ドラゴンがいなくなったと思ったら、わいて出て来やがって……」
 ぶつぶつと不平をもらす。これらの男たちに比べて、ドラゴンに身を晒すことさえ厭わなかったメルローズの勇気と情熱に、目頭が熱くなる。
「そんなことよりよ。聞いてくれ」
 マックスはいきいきと喋る。
「長距離魔術通信は成功したのか?」
 無視して、半分瞼を閉じながら問う。マックスの技術班に対して、黄金樹の強力な魔力と高さを利用して、セリアとの魔術通信を行うよう命じていた。
「俺もついに側室を持ったよ。それも親友二人組(第59章参照)を、同時に」
「黄金樹には複数の時空の歪がある」
「一人は、天然の娘で、もう一人はボーイッシュ」
「一つ一つ調査すれば、セリアの方角を向いた穴が必ずあるはずだ」
「どうやったかと言うと、天然を守ろうとするボーイッシュの気持ちを利用して」
「魔力をブースターで増幅して」
「そして、取り残された天然が寂しさをつのらせたところ」
「角度が重要だぞ」
「基本、好奇心を刺激することを忘れちゃいけない」
 男たちが、一歩も歩み寄ろうとしない会話を続けていると、トントンと警戒に軍靴の踵を鳴らして、アフロディースが歩いてくる。
「さすが歴戦の勇者ですね。マックス殿」
「まあ。それほどだけど」
 マックスは、照れながら頭をかいた。
 アフロディースは、女神のような笑顔を惜しげもなく振りまく。そして、ソファーの肘掛に腰掛け、ミニスカートから零れる細く長い脚を、男たちの視線を十分に意識しながら徐に組んだ。
「女性たちも幸せでしょう、きっと」
「ええ、……まぁ」
 マックスは、その太腿に暫し目を奪われ、堪らず生唾を飲み込む。
「どうした?」
 これ見よがしに、オーギュストは、その太腿に手を乗せ、神秘的なほどに整った顔を下から見上げて、問う。
「ロードレスのスタッフで、魔術通信システムを構築したわ」
「ほお」
 ちらりと厳しい視線をマックスへ向ける。
「黄金樹の出現なんて、そうあることじゃない。有効に使わせてもらうわ」
「それはそれは」
 オーギュストは、重い体をソファーから離した。
「おい、その前に、俺の話を聞け」
「お前もう帰れよ……」

 ※セリア
 時をドラゴン戦まで遡る。
 ……
 ………
 雲ひとつない青い空の下、エリース湖は、漣一つなく、まるで鏡のように輝いている。
「魔力抽入開始」
「マナバッテリーの正常作動を確認」
「魔力充填、順調」
 工作艦の艦橋に、ユリアの姿があった。艦長席に仁王立ちし、気難しそうに腕組みしている。
「位相差リングを開放」
「各リング異常なし」
 オペレーターの機械的な声に、ユリアは不敵な笑いを零した。
「ふふふ、圧倒的ではないか、我が才能は」
「はい──」
 そして、傍らに侍る刀根小次郎が、力強く頷く。
「ユリア様の超遠距離狙撃作戦は完璧です」
 幼女に対して、恥じることなく媚び諂う。
「当然だ。よし! テストを行う──」
 ユリアは、自信たっぷりに宣言する。
「竜牙弾の試弾を装填せよ」
「装填完了、圧力……正常」
 全ての計器が、想定通りの数字を示している。
「試弾、発射!」
「発射!」
 オペレーターが復命した瞬間、工作艦のカタパルトから、光の塊が打ち出された。それは、湖上に並べられた24枚のリングを通過する。
 通過するたびに加速度を増し、最終的に異次元へと突入する。弾丸はドラゴンの牙で作られ、ドラゴンの禍々しい魔力に引き寄せられて、今次元に舞い戻る、というのが『超天才ユリア様の超遠距離狙撃大作戦』の概要である。
 そして、ここで使用された試弾とは、実体のない幻影であり、これを飛ばして、最終的な安全確認を行う予定だった。

 その頃、ローズマリーは、セリア市内の学院にいた。長方形のこじんまりとした建物で、地下一階、地上三階に、屋根裏が付いている。
 玄関を入って左手に院長室、その先に階段、その奥に職員室があり、右手には、メインとサブ2つの教室がある。
 二階には、寄宿生の部屋で、大部屋二室に、二人部屋が四室ある。
 三階は、ユリアたちの特別室とゲストルーム、そして図書館がある。
 屋根裏部屋は物置で、地下には、台所、食堂、洗濯場、浴室などがある。裏庭には、小さな馬小屋と使用人たちの長屋がある。
 ローズマリーが、教壇に立った。
「はい、出席を取ります。ユリアさん。……ユリアさん?」
 返事がない。暫くして、何かに思い至ったらしく、「あっ」と声を発した。
「超天才美少女ユリアさん」
 しかし、やはり返事はない。
「今日も欠席ですね……困った娘ね……」
 表情が曇る。
「先生」
 賢そうな生徒が、手を上げた。
「フェリシア様とエレナ様も、いらっしゃいません」
「そう。なら、家族の行事かしら。後で確認しましょう。じゃ、生物の教科書を開いて」
 楽天的に考えて、ローズマリーは授業を始めた。
「“パンダ”とは、ロードレスに棲息する動物で、極めて凶暴なことで知られています。鋭い眼光を黒いアイシャドーで隠し、常に竹で牙を磨いでいます。ここテストに出ますよ」
「はーい」
 生徒たちは、一生懸命にノートに書き込む。
「次に、“極北白くま”です。この子は、中型犬ぐらいの大きさで、全身をふかふかした白い毛で覆われています。非常に大人しく、かつ、人懐っこいです。極北も平定されましたから、来年の今頃は、皆さんも、夜抱いて寝ているかもしれませんね」
「わーい」
 教室中に、歓喜の笑顔が咲く。
「それから、先週『“ネコ”は木星人が送り込んできた生物兵器ですか?』という質問がありましたが、先生、世界中から書籍を集めて調べました。そうしたら、やっと分かりました。猫は、一万回生き返ることができる万物の霊長であり、人はそれを愛し、世話をするために……」
 ローズマリーの授業が続く。

 再び工作艦。
「人工頭脳による推定弾道きました。ドラゴンの傍を通過したようです」
「ふふふ、天才に一片の死角なし。よし。実弾を装填せよ」
「はい」
 報告を聞いて、ユリアは、一人ほくそ笑む。そして、小次郎が献上したミロを、美味しそうに飲み干した。
「姉上」
「うむ?」
 その背中に、妹のフェリシアとエレナが忍び寄ってきた。
「ドラゴンの傍には父上がおわす筈」
「何故です?」
 二人が声を顰めて問う。
「時代遅れの肉弾戦が、今更何になる」
 ユリアは、母親譲りの美しい瞳を怜悧に輝かせて、平然と嘯く。
「しかし……」
「焦り過ぎです……」
 二人は低い声で言うと、視線を交え、意を決して頷き合う。
「うむ? 冗談はよせ」
 異変を察して視線を向けたが、ユリアは微かに笑うだけだった。
「案外──」
「姉上も甘いようで」
 フェリシアとエレナは手をそろえて、ユリアの尻へ鋭く指を突き入れた。
「ゲバッ!」
 ぐっさりと指が嵌まり、ユリアは奇妙な声を上げて卒倒した。
「例え姉上と言えども──」
「父殺しの罪は逃れられない」
 二人はユリアに代わって艦長席に立ち、大きな声で宣言した。
「この工作艦の指揮は──」
「私たちが取る」
「新たな目標は──」
「お月様!」
「月を」
「お仕置きだ!!」
 嬉々として拳を突き上げる。
 オペレーターたちは、うんざりと俯いた。
 そして、
「一秒間に」
「16連発!!」
 二人は息を合わせて、発射ボタンを連打する。
「れんだ、れんだ」
「れんだ、れんだ」
「いけません。公女様……ああ」
 慌てて、オペレーターが叫んだが、時すでに遅かった。

 再び、教室。
「外国語(ワ国語)は、紳士淑女の必需品です。しっかりお勉強しましょう」
「はーい」
「では、『トラストミー』」
「トラストミー」
 子供たちが声を揃えて復唱する。
「意味は、アホな人が高い地位につくとアホな発言を繰り返す、です」
「はい」
「次は、『小沢さんは変わった』。意味は、権力者に媚び諂う、とっちゃん坊や」
「小沢さんは変わった」
「次は、『二番じゃダメなの?』。意味は、黙れ、クソ女──」
 その時、突然、空気を引き裂くような大爆音が轟いた。
「なっ、なにかしら?」
 驚愕の瞳で、赤く焦げた湖を見た。
 ………
 ……
 時を戻す。
 今、通信室の控え室で、フェリシアとエレナの二人は、並んで長い椅子に膝立ちして、厚いガラスをそっと覗き込んでいた。
 通信室では、カレンとミカエラが、大型画面に向かって、烈しく言い争っている。画面には、執務用の大型机に坐るオーギュストとその傍らに立つアフロディースが映っている。
 オーギュストはじっと瞼を閉じて、感情を外に表さず、一方のアフロディースは、冷徹な美貌の底に、底知れぬ怒りをたたえている。
「たかが、子供のいたずらでしょ」
 ミカエラが髪をさっと後に払い、微かに鼻で笑いながら言う。
「そうですわ。幸い怪我もなかったことだし……問題ないでしょう」
 珍しく、カレンが、ミカエラと意見を同じくしている。二人は、瞳を合わせて、優雅に頷き合う。
「か、浣腸よ……、何てはしたない。どういう教育を受けているのかしら?」
 アフロディースは、火を吹く勢いで言い返した。
「あら、そもそも、あんな危険な火遊びをする方が悪いのでしょ」
 カレンが、乾いた笑顔を作り、目に殺気を帯びさせて言う。
「一体、被害額はいくらになるのかしら」
 惚けた声で、ミカエラが言う。
「折半に決まっているでしょ」
 アフロディースは、キッパリと言い切る。
「はあ?」
 ミカエラが身を乗り出した。
 三人の母親の不毛な会話が長々と続き、ついに、カレンが床を蹴って、通信室から出てくる。
「全部、パパのせいよ」
「うん、分かった」
 そして、エレナの手を引いて帰っていく。
 次に、ミカエラも出て来た。
「絶対に、パパが悪い」
「はい、ママ」
 フェリシアは元気よく返事して、長椅子から飛び降りて、ミカエラの手を掴んだ。


 ※ヘルト要塞。
 切り替わった画面の端に、膝を抱いて坐るユリアが映っている。
「指が入ったのよね?」
「……」
 ユリアは、黙ってコクリと頷く。
「深かったのよね」
「……」
 返事の代わりに、大粒の涙を浮かべる。
「痛かったのよね?」
「すごく…くすん…痛かった……」
 暗い声で呟く。その髪を優しく撫でて、ローズマリーが慰めた。
「これは由々しき問題です。厳正なる処分を!」
 アフロディースが髪を逆立てて、オーギュストを怒鳴る。
「……」
 それでも、哲学者のような固い表情を些かも変えないオーギュストに、アフロディースは、「ユリア、悪いのは全部パパのせいだからね」と言い放って、通信機を切り、部屋を出て行った。
「空は広いなぁ……大きいなぁ……」
 一人無機質な通信室に残されたオーギュストは、窓の傍に立ち、ただ黙って空を見詰めた。
 その空は、青から赤となり、そして、闇が広がっていく。城下町にも、ぽつぽつと明かりが灯りだし、路地が暗闇に包まれていく。
 と、突然オーギュストは周囲を見渡した。そして、そっと窓から抜け出して、まるでトカゲのように壁を這い出した。
 オーギュストは、狭い路地へ降りていく。
「熱帯……」
「雨林」
 物陰から女の声がした。合言葉を確認すると、姿を現し、紫色の頭巾を取る。猪野香子である。
 オーギュストは、懐から皮袋を取り出す。
「お主も悪よのぉ」
「陛下ほどではございません」
 香子は、ずしりと重い皮袋を受け取り、その重さを確認すると、そっと風呂敷包を差し出す。
 このやり取りを、路地の奥の角から、ランが覗いていた。
「わ、悪いの匂いがする……」
 頭がぐらりと歪むほどの衝撃を受けていた。


【6月下旬】
 ※セレーネ半島某所。
 セレーネ半島の街という街が、夏至祭りに賑わっている。女たちは花飾りを頭に載せて、男たちは動物の仮装をして、輪になって、フォークダンスを踊り続ける。
 そして、オルレランの大聖堂でも、引っ切りなしに、信者が訪れて、女神に祈りを捧げていた。
 その隠し扉の奥、薄暗い倉庫の中で、円卓を囲む人々がいた。全員が動物の仮面をしていて、誰が誰だか分からない。
「ドラゴンは滅びた……」
 枯れた声が、石の部屋に怪しく響く。
「再び我らが、正当なる地位を取り戻す時が来た……」
 円卓を囲む人々が力強く何度も頷く。
 壁には、アルティガルド、セレーネ半島、サリスの三つに色分けされた地図が掛かっている。
「しかし、役割を終えたとはいえ、敵は強大です」
 一人が、慎重な声をもらした。
「正面から挑めば、必ず負けましょう」
 まだ若い声がすぐに答える。必要以上に言葉に熱がこもっていた。
「我々は千年の長きに渡って、この世界に君臨してきた。皆さんも、その道を心得ているはずです。すでに、盟友の力添えもあり、適切な人材配置も済んでいます。まさに今こそ天の時なのです」
 手振りを加えて、熱弁を振るう。
「そう、すでにシナリオは動き出している……」
 老人は、膝の上の猫を、大きな宝石の輝く指で撫でながら、囁く。


 ※ヘルト要塞、親衛隊屯所。
 親衛隊のブリーフィングは始まっていたが、ランは全く聞いていなかった。
 あの夜のあれは何だったのか?
 疑惑が頭の中を渦巻く。その当事者である香子は、何食わぬ顔で、横で、メモを取っている。
「――と言う訳で、陛下は、ホーランドからトラブゾンなどを経てから戻って参られます。その間に、監査を行います」
 一斉に、メモをとる手が止まった。微かな雑談の声も途切れて、室内は水を打ったように静まり返る。まさに青天の霹靂だった。
「姉御、姉御……」
 香子が、慌ててランの袖を引っ張る。
「え?」
 ランは我に帰って、顔を上げた。地獄の口が開いているのも知らずに、すっとんきょな声をもらす。その時、偶然、向かいに坐るアンの顔が目に入った。それは、まさに死人のように青ざめいていた。
「監査は、数日掛かりますが、皆さんは屯所を出ないで下さい」
 統帥府監査部から、ゴリラのような女性監査官が来ていた。フリオの一件以来(第59章参照)、管理体制が強化されている。ちなみに監査部部長には、かつてフリオの参謀を務めたダリ・カスティーヨが就任している。彼は有能ではあるが、空気が読めないことで知られていた。
「えーーーえッ!」
 ようやく事情を飲み込めて、ランは、半分気絶した。

「こちらが武器庫です」
 アンが幕を捲って、監査官をモスグリーンの小さなテントの中に案内する。
「整理が行き届いてませんで、申し訳ございません」
 人形のように整った美貌に、阿るような笑みが浮かんでいる。
「……」
 入り口付近に、バリケードのように、木箱が積み重ねって、奥へ進めない。
「あそこに見えるのが、これです」
 辛うじて見える魔法矢が納まっている箱を指差し、それから、書類の項目を指差す。
「そぉー言うことで、えーと、お疲れでしょうから、こちらでお茶でも……。名物の親衛隊サブレも用意してありますから……」
 高度の緊張のために、顔が引き攣っている。
「結構」
 監査官は平然と呟き、アンの希望を打ち砕く。そして、気合を入れるように、バチバチと指を鳴らし、ボキボキと首を回してから、「さて」と一声発して、勢いよく袖をまくった。
 唖然とするアンの前で、箱を軽々と持ち上げ、隅に移動させる。一歩一歩と、監査官の歩は、カラの箱へと近付いていく。

「どうすんの? どうすんのよ?」
 詰所の中を、ランは歩き回っている。まるで猫の瞳に映ったネズミのように、おどおどとしていた。
「今さら慌てても仕方ないですよ、姉御──」
 木製の頑丈なテーブルでは、香子が、煎餅をバリバリと音を立てて食べている。
「もう余った矢とか携帯食とかは、全部アザラシの毛皮に替えて、セリアへ送っちゃいましたから。まぁ、途中で全部沈みましたけど……残念」
「……そんなことは分かっている。今問題なのは、どう誤魔化すかだ!」
「誤魔化せないでしょう、普通」
 澄ました顔で、両手を湯のみに添えて、渋いお茶をずるずるとすする。
「……ああ、殺される。このままだと、極刑だ。ギロチンだ、縛り首だ、火炙りだ、電気椅子だ……」
 ランは極端なほど深刻な声を発して、頭を抱え込む。
「あと、石を投げつける、というのもありますよ」
「お前は、ボクに死ねと言うのかァ!」
 ドンと両手でテーブルを叩く。怒りと焦りで、目が眩まんばかりである。
「な、な、な、なんとかせねば……!」
「分かりました。一肌脱ぎましょう」
 いとも簡単に告げると、懐から、拳ぐらいの皮袋を取り出す。ランはすぐにそれがオーギュストが渡した金であると気付くが、今はそれについて考える余裕がない。
「こんな時のための蓄えです」
「わ、賄賂か……。そ、そ、それは、……犯罪じゃないかな……、そんな気が少しするような……しないような……」
 ランは、何度も何度も首を傾げる。
「みんなやってますよ」
「えーーー!!」
 にこりと香子は微笑んだ。
──香子、おそろしい子……。
 ランは、背中に氷を当てられたようにぞっと身を震わせ、脇の下に大量の汗をかいた。


【ホーランド】
 オーギュストは、ベッドの上で、クッションに凭れて、固い携帯保存食をかじる。それから、足元に広げられた紫色の風呂敷の上に積まれている紙を一枚を拾った。
 まぶしい夏の太陽がキャビンの丸い窓から差し込み、皺のよったシーツを白く輝かせている。
 高速船は、帆を扇形に広げて、海面を掠めるように高速で進んでいる。もうホーランド港が微かに薄霧の中に見え始めていた。
 ホーランドは、メルローズの縁の地であり、戦後、彼女の領地となる予定である。
「何これ?」
 身体にバスタオルを巻いて、水筒をストローですすりながら、メルローズは、ベッドの上に跳ねるように乗った。そして、風呂敷の上の紙を見て、眉を顰めた。
『くやしい…でも、感じちゃうっ! ビクビクッ……ああああああ』
 ワ国のいかがわしい絵である。女性の台詞を、大仰な台詞口調で読み上げる。
「みんな同じ台詞なのね……」
 呆れ顔で苦笑した。
 オーギュストはお気に入りを手渡す。
『下さい……お…お願いします……どうか挿入れて…下さい…そんな……指じゃなく…もっと太いモノで…おもいっきり…かきまわして下さい……』
「あはははは」
 たまらず、高い声で笑う。
『私を……お使いになってください。この卑しい牝犬のオマンコでよろしければ……。ご主人様のオチンチンで……どうか存分にご堪能くださいませ……』
「もぉー。女の子は、こんなになりません!」
「そうお?」
 オーギュストは腰に手を回して、巧みに誘導する。
 メルローズは、足を伸ばして坐るオーギュストの腰に跨ると、身を倒して、自分から軽く口付けをする。
 唇を舌先で舐め、優しく啄ばむように噛む。思春期の最中である。行為に恥じらいがあり、奥床しい。まだその奥深さに、気付いていないようだった。
 いきなり、オーギュストは強く抱き締めた。持っていた版画が、ベッドの下へ舞い落ちていく。
 深く舌を差し込む。忽ち、粘液が混じり合い、柔らかい粘膜を通して、互いの温もりを伝え合う。それから、百戦錬磨の舌は、歯の裏側の歯茎から上顎を刺激して廻る。
「はぁん……」
 メルローズは、甘く蕩けるようなため息をもらした。
 この心地良いBGMを聞きながら、オーギュストは、豊かな尻肉を掴んで支え、さらに、身体の下に頭をもぐりこませる。そして、巨大な釣鐘を思わせる乳ぶさへと口を運んだ。
「ひぃ、ふぅあん」
 乳首を含んで、転がし、つつき、軽く噛んで、吸う。
 同時に、大山を麓から包み込むように握り、搾るように回転させながら揉む。そして、まるでプリンのように揺すぶり、乳首を指の腹でこね、爪で引っ張り、擦り、抓る。まるでギターでも弾くように玩んだ。
「ああん、あ、ふぁん……」
 勢い、首に抱きつき、メルローズは、あられもなく喘ぐ。
「…あぁん…もっとぉ…」
 そして、ひとりでに腰を、阿るように、もじる。ふいに、尻の谷間に熱塊を感じる。焼きゴテのように熱く、石よりも堅く、茄子のように太く、大業物のように反り返っている。
――ああ、これで、また狂わされてしまう……。
 おぼえず、喉を鳴らしている。
「入れていいぞ」
「うん」
 素直に頷くと、極太の柱を掴む。掌に、猛々しい脈打ちが、伝わってきた。その瞬間、呼吸が乱れ、鼓動が早くなり、脳が揺らぐような目眩を感じる。
「……」
 小さな蜜穴に宛がう。経験がなければ、とても入るとは思わないだろう。まるで針穴にすりこぎを入れるような感覚である。否応なく緊張が高まる。
「あ、くぅ、くくくん……」
 少し腰を落とす。すでに入り口は、侵入者の到来を予感して滲み出た蜜で濡れ光っている。
「あむぅっ」
 王冠は、滑るように蜜口に嵌まった。
 狂おしいほどに、息が詰まる。眉間に鋭い皺を刻み、堅く目を閉じて、瑞々しい美貌を顰めた。
 呑み込んだ杭は、甚だしい圧迫感である。
 必死に歯を食い縛って、身体を引き裂かれるような烈しい衝撃に耐える。苦痛は一瞬。稲妻のように駆け抜ける。そして、その後に、甘美な波動が生じてくるのを、メルローズの身体は知っていた。
「うううん」
 手をオーギュストの肩にかけた。もはや支えを必要としない。立てていた膝を折りたたむと、体重でさらに腰が沈み、己の身奥へと男の分身を引き込む。
「うがぁ」
 膣道が、隙間なく埋め尽くされた。快楽が漣のように背筋を上る。押し出されるように、口から卑猥な声が溢れた。
「ああーーーん」
 糸のような喘ぎ声を放つと、顎を、肩の上に乗せた。その瞳は、とろりと緩み、目尻に光る粒を浮かべている。
「好き、陛下が、だいすきぃですぅ」
 我知らず、そう叫んでいる。
「腰を振ってごらん」
「イヤン、恥ずかしい……」
「大丈夫。もっと気持ちよくなるよ」
「うん」
 鼻を鳴らして返事する。そして、恐るおそる腰をゆすり始めた。
「こう?」
「そうもっと膣の壁にこすり付けて」
「ううん、イヤン、イア…イヤン……」
 突然、顔を烈しく振り乱す。絶妙の角度を見つけてしまった。
 穏やかでのどかな草原のようだったメルローズの精神には、すでに幾度となく押し寄せた肉欲の濁流のために、鋭利な溝が切り刻まれている。膣肉が擦れるたびに生じる快感は、淫靡な水となり、そこを怒涛の如く流れて、全身を素早く、そして、隈なく、媚水で満たしてしまう。
「あ、あ、あ、あっ……止まらない」
 乱れた息を弾ませて、腰を上下に振り立てる。
 自ら快楽を貪るような行為に、残っていた理性が警鐘を鳴らす。必死に唇を閉じて、ふしだらな吐息を遮ろうとする。が、忽ち堪え切れずに、また唇を開き、喘ぎ声を吹きだす。
「止まらないのぉ……腰が……」
 メルローズは、悲鳴のような声で、すすり泣いた。
「いいんだよ、それで。よく頑張ったね」
 オーギュストは優しく、背中を頭を撫でてやる。
「あああ、あんんんん!」
 自ら絶頂へと達していく。

 翌昼前、オーギュストは遅く起きる。さすがに度を越した奢侈淫佚な生活が、身心を蝕んでいる。取り敢えず、濃いコーヒーを淹れる。
 ベッドの上には、まだメルローズが眠っている。艶やかな肢体を白いシーツに包み、金髪を棚引かせ、物憂げな寝顔を見せている。
「……ううん」
 オーギュストの気配に気付いてか、メルローズが、頭を抑えながら眼を覚ました。頭をもたげると、鏡に、砂のような金髪が、ぼさぼさに乱れているのが映る。
「はああ!」
 慌ただしく手で髪を撫でる。そこへオーギュストがコーヒーカップを差し出す。
「もう朝ですか?」
「昼」
「ええ!?」
 メルローズは悲鳴のような声を上げた。

 重臣達が、戦局の報告を行っているが、オーギュストは、大きな欠伸を繰り返していた。
「ユーグへ進軍されたマウリッツ・ド・ルクレール伯爵が死去致しました」
 ファルコナーの刺激的な言葉に、さすがにオーギュストは顔を上げた。
「戦死か? 暗殺か?」
「残されていた玉座に腰掛けたところ、毒が仕込んであったそうです」
「……犬死かぁ」
 オーギュストは、声もなく天を仰いだ。
「困った……。守役がいない……」
 オーギュストは、唸るように呟いて、頭を乱暴にかいた。パルディア貴族のマウリッツ・ド・ルクレール伯爵は、パルディア王女ヴァレリーの息子で第三皇子ギュスターヴの守役を務めることになっていた。
「改めて人選を行います」
「頼む。それから、全軍に安全を徹底させろ」
「はい」
 ファルコナーは素早くメモを閉じる。
 その後、オーギュストは昼寝したが、三時過ぎに再び訃報で起された。
「追撃の先鋒デルロース侯爵が戦死されました」
「確か撤退の指揮を執っているのは、ヌール・カラタイ将軍(62章参照)だったな?」
「はい」
「敵もなかなか人材豊富だな」
 オーギュストは、苦い顔でがくりと項垂れ、小さく舌打ちをした。
「認めたくないものだな──以下省略──」


【トラブゾン】
 夜、予定より遅れて、オーギュストはトラブゾンに到着した。エヴァ・ディアンは、港で出迎え、娘のヨハンナを紹介する。そして、クリストロス宮殿の新築の棟へと案内する。
「リューフはいるのか?」
「日中に出発されました……」
「そうか、入れ違いか」
 渋い赤絨毯の敷かれた廊下を歩く。すぐ後には、エヴァ・ディアンがいた。彼女は、リューフの名を聞き、何処か奥歯に物が挟まったような言い方をして、視線をちらりと隣の男へ向けた。
「陛下、そのリューフ将軍のことですが……」
 監査部長のダリ・カスティーヨが、陰気な声で喋り出す。
「何だ?」
「街に不穏な噂が流れています」
「ほーお」
 気のない返事すると、居間に入った。
 南側に、円柱が並んだ広いベランダがあり、美しい花壇で彩られている。北側には暖炉、大きな振り子時計、そして、陶磁器が飾ってある。西側の隅に小さな個室があり、祈り場の場が用意されていた。
 閉じられている暖炉の前のソファーに横たわり、庭を眺める。すぐに、ヨハンナがグラスを差し出してきた。
「見違えた。立派なレディーになったな」
 母親と同じクリーム色の頭髪とすみれ色の瞳を持ち、父親譲りの引き締まった口元をしている。頭の左右に球形の髪留めをして、可愛らしさと凛々しさを併せ持つ。
「ありがとうございます」
 ヨハンナは正しい所作でお辞儀した。その後、エヴァに促されて、そのまま横に坐る。
「ナルセスが、世界で一番かわいいと言っていたことを思い出すよ」
 オーギュストは、亡き友人に献杯した。
 そこへカスティーヨが近付く。
「陛下、これをご覧下さい」
 カスティーヨが、黒革のファイルを提出する。
「墨で読めなくなった書簡です」
「ほお」
 オーギュストは、口を小さく開いて、軽く唸った。
「よく見つけた」
 数枚の書簡をめくりながら、徐々に表情が険しくなっていく。
「有り難き幸せ」
 恭しく頭を垂れた。滅多に表情を変えない男だが、微かだが、顔に自信と満足の感情が滲んでいた。
「これからも厳しく取り締まれ、ただし!」
 オーギュストが、不意に、鋭く言葉を区切る。
「上級幹部については、俺だけに報告しろ」
「はっ」
「絶対に他にもらすな」
「はっ」
「大事なことだから、もう一度言う──」
 繰り返し念を押す。
 ファルコナーが去ると、オーギュストは書簡を雑巾のように搾った。
「もうこんな物が出回ようになったかぁ……」
 一瞬にして、重要証拠は、単なるゴミと化した。
「だが、リューフを選んだのはミスだな。奴なら、こそこそ動かず、正面から俺に挑んでくる」
「しかし、人は変わるものでしょ?」
 エヴァが言う。
「確かに、変わる。俺も変わった。こんなことで思い悩む事になろうとは……」
 丸めた書簡に火をつけて、その炎を見詰めながら、独り言のように呟く。
「やはり、情は、道を踏み外す主要要因だな。愛する者、守るべき者がいなければ、人は正しく目的のために生きられる」
「ただ、いなければ、きっとお寂しいでしょ」
「知らなければ、如何と言う事はない──」
 白い灰となって、書簡が宙を舞う。
「しかし、こういうものが出るなら、ディアン家からだ、と思っていたが……」
「……」
 エヴァは、顔を曇らせた。
「狙われやすいと言うことだ」
「肝に銘じます」
 極めて深刻に頷く。栄華を極めつつあるこの家族にとって、最も恐ろしいのは、『亡き父の功績を不当に奪われている』などと二人の息子ルートヴィヒとナイトハルトに吹き込む輩が現われ、それを息子達が真に受けてしまう事だった。
 長い沈黙が室内に流れる。
 想像しただけで、エヴァは、血が氷り付きそうだった。
 その時、グラスを空にしたオーギュストが、徐に口を開いた。
「さて寝るか」
 オーギュストは鈍く立ち上がった。エヴァは従おうとしたが、それをやんわりと断る。
「疲れているせいか、今夜は酔いが早い」
「はい畏まりました。今宵は、ごゆるりとお過ごし下さい」
 深々と一礼する。しかし、その床に迫ったエヴァの瞳は烈しく泳いでいた。
──上帝陛下との絆が途切れてしまう……。
 その隣で、ヨハンナは無邪気に息を吐いて、緊張の糸を切った。
――ふぅ、やっと終わったぁ……。

 夜が明けた。
 オーギュストは、午前中、走り、剣を振り、みっちりと汗をかいた。朝一で、「ヘルト要塞に戻らず、直接本隊に合流する」と指示を出している。戦場に戻る緊張感が、再び精神を引き締めていく。
 浴室で汗を流す。石鹸の泡をすべて流れ落とすと、すっと背後のドアが開いた。
「エヴァか?」
 入ってきたのは、娘のヨハンナである。薄い夜着姿だった。
「失礼致します」
「……」
 無言で目を白黒させる。
「母より言い付かってまいりました……」
 俯いたまま、ぼそぼそとささやく。
「……」
 呆れて、開いた口が塞がらない。暫くして、ようやく怒りがこみ上げてきた。
「これは心外だ。エヴァを呼べ!」
 思わず、声が大きくなっていた。
 その時、ヨハンナが、浴室の床に蹲り、深々と頭を下げた。
「お許し下さい」
「ヨハンナには関係ない」
「母もわたくしも、切羽詰ってのこと。今、陛下と疎遠になっては、この家は成り立ちません。何卒、何卒、わたくしを傍に置いて下さい」
「……」
 その切実な声に気押されて、返す言葉もない。改めて、昨夜のエヴァの表情を思い浮かべる。
──そうか……。
 オーギュストは力なく、浴槽の縁に腰を降ろした。自分の軽率な態度が、この二人を追い詰めたと知り、胸が痛んだ。
 調度その時、扉の向こうに人の気配を感じる。
「エヴァ、嵌めたな?」
 苦笑した。
「分かった、わかった。今宵もう一泊して、夜伽を命じよう」
 何処となく、あやすような音色が含まれている。
「いいえ」
 キッパリとした声が、透かさず、返ってくる。オーギュストは、思わず眉を上げた。
「この際です。ヨハンナに、陛下の子を産ませます」
「……」
 堪らず、ぞっと背筋が凍りつく。「本気か?」と問うのも馬鹿らしい。エヴァの果断な性格は、重々承知している。一度口にすれば、引き下がることはない。
「……哀れな。もう因果を含められたか」
 激動の運命に震えるヨハンナを見て、大きくため息をついた。
 結局、オーギュストは、「側室にするもしないもセリアに帰ってから」とした。まだ食い下がろうとするエヴァに、さらに「ナルセスの娘をこのような形で迎えることはできない。例え、するにしても、正式な手続きを踏むべきだ」と諭した。
 そして、逃げるようにトラブゾンを離れた。

 ※ヘルト要塞。
 大きな銀杏の木の下で、ランに、ルートヴィヒ・フォン・ディアンが声を掛けた。
「聞きましたよ。さすがですね」
「え?」
「書類と在庫が完全に一致したそうじゃないですか」
「……ああ」
 忽ち、全身に、冷や汗が痛いぐらいに溢れる。
「私も見習わないと。あははは」
「そんな……」
 穴があった入ってしまいたい。
「今夜夕食を食べながら、秘訣を聞かせてください」
「今夜はちょっと……」
 一刻も早く、この場を立ち去りたい。
「それは残念……」
 ルートヴィヒは、両肩を落として立ち去る。
 ほっとしたのも束の間、次に、ヤンがやってきた。
「書類と在庫が揃っていたって? 凄いじゃないか。なかなかできないよ。もはや奇跡だね」
 ヤンが感心し切った顔で言う。
「そうかな……(は、恥ずかしい!)」
 俯き加減に視線をそらす。まるで大観衆の前で、全裸になっているような気分である。
「次の監査部長は、ランさんで決まりだって、みんな言っているよ」
「嫌だァ!!」
 思わず顔を真赤にして、叫んでいた。ランの反応を見て、ヤンはやや呆然とする。
「ぼ、ぼ、ぼ、ボクは前線が好きなんだ」
「そうだね」
 ヤンは笑顔で納得する。そして、固執せず、話題を転じた。
「そうそう。小次郎さんが、降格処分になるそうだよ」
「……」
 しかし、ランは全く聞いていなかった。
──ま、拙い。虚名が広まっていく……。
 そこへマックスが通りかかった。
「お前達、女の口説き方を知りたくないか?」


【7月】
 ※王都テリム近郊。
 草木も枯れ果てる炎暑が続く中、追撃戦が始まろうとしていた。
 カリハバール軍は、先月末の長雨のせいで、行軍が滞ってしまい、ついにサリス軍に追いつかれてしまう。
 しかし、この日あることを予測して、街道の要衝には、すでに、二重の堀と柵を巡らした堅陣が敷れて、サリス軍の到来を待ち構えていた。

「うおおお!」
 サリス軍の小部隊が突進する。

「引き付けろ」
 カリハバールの前線指揮官は、全軍に弓を引かせ、
「よし放てッ!」
 十分に引き寄せてから、一斉に攻撃を始めた。

「応戦せよ!」
 一方、サリス軍は素早くシールドを並べると、間一髪、矢の第一波を防いだ。そして、一瞬の間隔に、シールドの隙間から矢を放って反撃する。

「打ち負けるな。続けて打てッ!」
 カリハバール軍は、第二波を放つ。

「転進せよ」
 しかし、サリス軍は、その場に執着することなく、あっさりに反転した。彼らの残した足跡に、矢が怒涛の如く突き刺さる。

「勝鬨だ!」
 矢は虚しく空振りしたが、第一陣を退けたことで、どっと陣内が沸いた。
 だが、透かさず、サリス軍の第二陣が現われた。
「もう一度、追い払うぞ」
 各部隊の指揮官の威勢のよい声が飛びかう。

 この第二陣も、第一陣と同様の戦法を取る。そして、第三陣、第四陣と波状攻撃が続いていく。
 サリス軍の小部隊は、一撃離脱を繰り返す。一回一回は小規模でもあり、その一撃一撃は大して強くもない。
 現に、カリハバールの陣は、微動だにしていない。しかし、繰り返される回数が、尋常ではなかった。疲労が蓄積されて、ついつい将兵達の頭に、無限という言葉が過ぎる。
「補給を急げ。次が来るぞ」
「……」
 指揮官の声が掠れて、兵士たちの返事が自然と省略されてしまう。それを咎める者もいない。
 その時、カリハバール将兵は、目の前の光景に愕然とした。
「何だあれは?」
 圧倒的大軍に、半包囲されている。
「どうしてこうなった……」

 一度ぶつかったサリス軍は、反転すると最も適切な場所に移動して陣を敷く。それを繰り返して、ほんの短い時間に、何の抵抗も受けることなく、理想的な陣形を整えた。

「いかん。押し潰されるぞ」
 前線指揮官は後方の総司令部に、救援を要望した。
 これを受けて、ヌール・カラタイ将軍は、自ら精鋭を率いて、殿と合流する。
「兵の動きが見違えた。さすがに皇帝を僭称するだけのことはある」
 カラタイは、顎の無精ひげを摩りながら、不適に笑う。その余裕ある態度を見て、周りの将兵は薄い笑みを零した。
 しかし、その態度と裏腹に、心には悲壮感が漂う。オーギュスト自ら率いるサリス軍の士気は高く、左右に、リューフやアフロディースなど精鋭が揃っている。
「ここで反撃するぞ」
 一転して、カラタイは表情を引き締めた。
「このまま退却したのでは、峠を越える前に全滅してしまう」
 全員が頷く。
「敵の猛攻を凌ぎ、かつ痛烈な反撃を加え、怯んだ隙に、陣形を再編しつつ一気に退くぞ」
「はっ」
 カリバール将兵が、一斉に敬礼する。

「いつでも来い!」
 カリハバール軍は密集隊形を取る、内部では、緊張感が極限まで高まり、飽和寸前となっている。
 カラタイの狙いは、明瞭である。優勢を確信して大振りになる敵に対して、必殺のカウンターを打ち込む、である。
 しかし、言うほど簡単な事でない。チャンスは一度切りであり、失敗は許されない。神経を研ぎ澄まして、その唯一の好機を待ち続けなければならない。

「……」
 だが、それから、サリス軍は、水を打ったように静まり返った。鬨の声一つ上げず、陣を堅く閉ざしている。

「何故来ない……!?」
 カリハバール将兵の精神だけが、無駄に磨り減っていく。


 ※パールの森。
 森の端に、エルフの砦がある。中央に白く高い塔を有して、完璧な左右対象形である。
 ここに、パールの森の部族が集まって、戦後処理について話し合いが行われている。
「まだ戦いは続いているのに?」
 ランが呟く。
「ドラゴンは去ったから、後は人間同士の問題と言う事さ」
 ヤンが明確な口調で答える。
「フーン」
 オーギュストは、人間代表として招かれた。そして、宛がわれた控え室では、ランとヤンの二人が、退屈そうに待機している。
「んで、うちの師匠は、戦争もせずに、どうして、こんな所に?」
「陛下は、敵の都合に合わせて戦争をしない。敵がやる気満々の時は、戦いを避け、敵が疲れたら戦う」
「相変わらず、卑怯な男だな」
「戦争なんて、そんなものだよ」
 ヤンは、目を細めて苦笑する。
「姉御、エルフが来ますぜ」
 そこへ、扉の前にいた香子が駆け寄る。
 暫くすると、ぞろぞろとエルフたちが入ってきた。
「皇帝の一番弟子というのは?」
 いきなり舌鋒鋭く問う。ランは頭でカチンという音を聞きながら、顔を引き締めて手を上げた。
「ボクだが、何か?」
 すでに臨戦態勢である。
「では御身が?」
 突然、エルフ達に笑顔が溢れた。そして、ランを取り囲んで、凄い、素晴らしい、と絶賛の嵐を浴びせる。
「それほどでも」
 ランは取り敢えず、照れながら頭をかいた。
「ローザンの大滝を、扇一本で、逆流させたというのは?」
「え? 大滝? 扇?」
 思わず、惚けた声を上げる。
「今度は、鎖で岩礁に縛られた状態から、脱出して見せてくれ」
「え? え? え? えーーーー?」
 大盛り上がりのエルフの輪の中で、ランの顔から血の気が引いていく。

 その頃、オーギュストは地下の書庫を訪れていた。古い本を並べた棚がずらりとあり、迷路のようである。梯子を降りて、窪んだ最下層へ行く。一見行き止まりだが、本棚を動かすと、通路が現われた。
「ほお」
 思わず、感嘆の声がもれる。奥の部屋には、禁断の書が並んでいる。
 そして、平積みされた本の影に、アルトゥーリンが蹲っていた。
「もう時間だぞ」
 平坦な声で告げる。
「ダメだ……」
 声が震えている。
「どうした?」
「足がすくんで動けない……」
 アルトゥーリンは、膝を抱えて、ぶるぶると胴震いし、血の気の引いた紫色の唇を強張らせて、がちがちと上と下の歯をぶつけ合わせている。
「こ、恐いんだ……」
 魔王に怯える子供のような声を出す。
「虎や狼じゃあるまいし。同じエルフ族だろうが?」
「みんな……私を恨んでいる……もっと上手く戦えたと怒っている……」
「そんなことはないさ。皆、畏怖している」
「う、うそだ……」
 蒼褪めた顔を伏せ、口を無様に歪めて、涙もなく、わーと泣く。
「わ、分かっている……分かっているんだ……みんな、みんな……の瞳が、ボクを責めている……」
 怯えきった声である。
「気のせいさ」
「違う……違うんだ!」
 顔を伏したまま、烈しく首を横に振る。そして、ガラス細工のような身体を突っ張らせて、叫んだ。
「な、な……、剣はまだ再生出来ないのか?」
 縋るように、オーギュストの裾を掴む。黄金の剣には、持ち主に不屈の勇気を与える効果があった。
「ああ、時間が掛かると言っただろ。しがない人間の体さ」
 オーギュストは、然して心配する様子もなく、口元に小さな笑みさえも浮かべて、答えた。
 これに、アルトゥーリンの心が折れる。
「ああ……」
 亀のように首を縮め、滝のように涙を落として嗚咽する。
「もう嫌だ……」
 そして、弱々しく、オーギュストの脚にもたれかかる。途端に、鼻を鳴らし始め、恍惚の表情を浮かべ始めた。
「……もう我慢できない。もう一度、飲ませて……。あれが必要なんだ」
 オーギュストの股間に頬擦りした。一周舌なめずりして、大きく喉を鳴らす。
「ねえ、いいでしょ?」
 太腿の内側を柔らかく摩りながら、媚びるような目付きでささやく。
「仕方ないなぁ」
 オーギュストが目で頷くと、素早く、パンツを落とした。そして、まず玉袋へ舌を伸ばす。
「ふふ」
 硬く大きくなり始めたのを見て、妖艶な笑みを浮かべた。敏感になった口の粘膜が、無意識に性欲を刺激し、勃起するペニスに精神的な興奮を感じている。
「これかわいい」
 舌足らずに呟くと、舌をチロチロと動かしながら、根元から先端へと、ゆっくりと渡っていく。
「ううん、ううン」
 瞳を潤ませて、かわいらしく鼻を鳴らす。
 ピチャッ…、ヂュポッ…、ヂュルルル……。
 亀頭にむしゃぶりつき、頬張り、窄めて吸う。淫らな水音が、口元から溢れている。
 そして、深く喉の奥へと飲み込む。
「ぅぐぅ……ォッ…」
 忽ち、強烈な嘔吐感が押し寄せてくる。全身が粟立ち、目は赤くなり涙が滲む。口の端からは涎が垂れて、烈しく咽る。しかし、後頭部が、言いようのない快感で痺れていた。乳首は痛いほど堅く尖り、股間は濡れ、むせ返るような臭気を放っている。
「うううん」
 恍惚感に支配されて、アルトゥーリンは、フェラチオに溺れていく。


 ※ヘルト要塞
 減俸と謹慎処分を受けたアンは、一人、要塞内の教会を訪ねていた。
「みんなやっている事なんです。本当です」
「はい、分かっていますよ」
 司祭のファイナ・デ・ローザスが、レモンの入った紅茶を差し出す。
 飾りっ気のない黒縁のメガネをかけているが、その安らぎに満ちた瞳と純白の肌が聖女としての美しさを伝えている。
「特にランです。アイツには裏がある!」
「そうかもしれないわね」
 興奮した口調で、自分の正当性を喉が枯れるまで語った後、アンは冷めた紅茶を飲み干した。
「大変ですね」
「そうなんです……」
 大きく頷て、肩を落とす。
「あれ……」
 喋り疲れたのか、急に眠気がしてきた。
「お疲れのようですね。少し休んでいくといいわ」
「いえ、でも……」
「遠慮せず」
 屈託のない笑顔で誘われて、アンは心を許した。
「では、お言葉に甘えて……」
 そして、よろよろと蛇行しながら、奥の部屋へと向かう。

 ※戦場。
 即日、ランと香子は、オーギュストともに、前線に戻って来た。
「拙いだろう……このままじゃ……」
 風呂から上がると、ランは、白いタオルで髪を拭きながら、ベッドの端に腰掛ける。
「大丈夫ですよ」
 香子はうつ伏せに寝て、本を読みながら、ゆっくりとバタ足をしていた。
「何を読んでいる?」
「大師匠が書いた鎖の脱出方法です」
「そんなのあるの?」
 ランは、果てしもなく唖然とする。と言う事は、滝の逆流の方法も確立されているのだろう。知らないのは、この広い世界で自分ひとりだけなのかもしれない、そんなことを刹那思う。
「姉御は、大師匠の講習会とか何時も寝てますからね」
「そ、そうかぁ……」
 確かに侮っていた。
「ああ、お金なら何時でもいいですよ」
「うっ」
 言葉に詰まった。巨額の借金を思うと、身も心も凍りつく。
 と、香子は本を閉じて、そっとランに近付く。
「セリアに帰ったら、姉御の名声は最高潮になっていますよ」
「……」
「ぜんぶ、あたしに任せて下さい」
「……」
 神妙な顔付きで、ランは俯く。そして、長い沈黙の後、ぼそりと「頼む」と呟いた。
「任せて下さい」
「あ、ちょ、ちょっと、……ああん」
 嬉々として香子は脱兎の如く跳ね起きる。そして、背後から、ランの胸をがっちりと鷲掴みした。
「姉御の胸、やわらか〜い」
「お母さんに、怒らせるから……止めて……」
 ランは頬を赤らめ、か弱く呟いた。


【7月中旬】
 再び、王都テリム近郊の戦場。
「決着をつける」
 早朝、オーギュストの第一声である。忽ち、総司令部に緊張が漲った。

 朝霧が薄らぐと同時に、兵馬の動き回る音が轟く。
「掛かれェ!!」
 先鋒は、ナルセスの後継者ルートヴィヒである。戦場中の注目を集める中、中央から突撃を開始する。

「名将ナルセスの息子と聞くが、……まだ若いな」
 ヌール・カラタイ将軍が、髭を摩りながら呟く。
「将軍、引き付けて反撃しますか?」
 参謀が問う。
 それに、カラタイ将軍は、しばし考え込んだ。
「否」
 そして、ようやく首を振る。
「敵の攻勢を呼び込みかねない。出鼻を挫いて、敵のリズムを少しでも崩しておこう」
「はっ」
 こうして、精鋭部隊の出撃が決定した。

 直ちに、両軍は烈しく激突する。しかし、戦いは長く続かず、ルートヴィヒは、兵を引き上げた。
 数で上回っていたルートヴィヒだったが、遥かに大きな損害を出す結果に終わった。

 圧倒的勝利に、カリハバール軍は、久しぶりに沸き返った。
 サリス軍弱し!!
 将兵は口々に叫んで、己の士気を鼓舞した。
 そこへサリス軍右翼、ロベール・デ・ルグランジェ虎威将軍が攻撃を開始する。
「堂々たる用兵だが、……緩慢だ」
「将軍、ご決断を?」
「……迎撃せよ」
 カラタイ将軍は、さらに長い時間をかけた考えた末、再び精鋭部隊の出撃を指示した。ルグランジェ軍の進撃速度は、ルートヴィヒ軍と然程変わらない。ここに違和感を抱いていた。
 新鋭のルートヴィヒの能力が高いのか?
 ルグランジェが過大評価だったのか?
 サリス兵の能力が平均しているのか?
 ぐるぐると思考は回る。
 そして、『敵は本気ではない』という結論に至った。大軍の驕りが、様子見の余裕を与えているのだろう。ならば、その油断を利用して、序盤を有利な展開に持ち込めないだろうか、とカラタイ将軍はそう考えた。
 積極策に出た結果、ルグランジェ軍を散々打ち負かして徹底させる事ができた。
 どっと大歓声が巻き起こる。無名のルートヴィヒと違い、サリス軍の主力の一人を打ち破ったことで、大いに士気は上がった。
 そこへ、サリス軍左翼が動き出した。
「何度でも打ち破れ!!」
 即刻、迎撃部隊が動き出した。
 左翼ゴーチエ・ド・カザルス広威将軍は、慎重な動きに徹し、深入りせずに撤退する。
 これに、前線の兵の中で、よく声の通る男が、「サリス軍が臆病風に吹かれている」と吹聴し始めた。

「カザルスは相変わらず手堅い。ルグランジェも上手くなった」
 オーギュストは、一段高い壇を築いて、そこへ参謀たちとともに登り、戦場全体を見渡していた。
 カザルス軍が無事所定の位置に撤退すると、椅子に坐り、濡れたタオルで顔を拭く。そして、落ち着き払った声で、部下の働きについて感想を語った。
 それから、左右に侍る参謀たちへ視線を配り、刀根留理子の前で止める。
「それに、潜入させた工作兵もよく働いているようだ」
「恐れ入ります」
 留理子は頭を下げる。
「陛下、そろそろ第二段階へ進みたいと思いますが?」
 傍らに立つ、ベアトリックスが囁く。
 この序盤の戦いが終わった時、サリス軍の中央は大きく、両翼は浅く下がっていた。結果として、両翼が少し前に出るように、陣を再編したこととなる。
 狙い通りの戦果に、参謀たちの顔にも、満足感が滲んでいた。。
「ああ」
 オーギュストは軽く手を上げて、了承の意思を示した。

 再びサリス軍中央から兵が出てきた。今度は、オーギュストの直属軍の一人、ウーゴ・ド・ベアール威北将軍(中領軍)である。
 ベアール軍は、重装歩兵を中心にした部隊である。通常、重装歩兵は動きが遅い。しかし、それまでの攻撃が揃って遅かったために、特に目立つことはなかった。
 カリハバールの迎撃部隊は、これまでと同じように正面からぶつかり、同じく蹴散らそうとする。だが、頑丈な鎧に短弓の矢が弾かれ、上から叩き付けた槍は、致命にまでは至らない。
 思いの他、戦いは長引き、そして、不覚にも、その足を止めてしまう。
 動きが止まったカリハバール迎撃部隊の側面へ、右翼と左翼から軽騎兵部隊が速攻を仕掛けてきた。
 頭を抑えられた状態で、両側面を直撃されて、カリハバール迎撃部隊は、大きな損害を被ってしまう。

「いかん!」
 カラタイ将軍は、思わず、腰を浮かしていた。そして、直ちに、射撃部隊を前に出して、敵の軽騎兵を牽制しようとした。
 だが、軽騎兵は矢を射尽くすと、さっと潮が引くように引き上げてしまう。
 しかし、この一瞬の攻防で、軽騎兵に士官ばかりを標的とされ、カリハバール迎撃部隊の多くの士官が戦死した。これによって、命令系統がずたずたとなっていた。

「槍を並べろ!」
 ウーゴ・ド・ベアールの檄が飛ぶ。
「衝けェ!!」
 勢揃いした槍が、一斉に前に押し寄せる。槍衾である。この一撃で、カリハバール迎撃部隊は瓦解した。
 逃げるカリハバール迎撃部隊を、アーカス騎兵主体のエステバン・イケル・デ・ハポン威南将軍(左領軍)が追う。
 背中を鋭い刃で切り裂き、さらに、そこへ刃先を衝き入れ、傷口を抉るような攻撃である。そのえげつなさに、同僚さえも顔を顰めた、という。

「どけ、これじゃ狙えん。邪魔だ……!」
「お前達こそ邪魔だ」
 士気を失った敗走兵は、救援に来た射撃部隊も巻き込んでしまう。カリハバール軍の陣前は、大混乱に陥っていた。
「このまま城門を開いたら、味方とともに敵兵を入れてしまいます……」
 参謀は、切羽詰った声を出す。
「将軍、敵が全面攻勢に出つつあります」
 別の参謀が、悲壮な叫びを上げる。
 カラタイの反応は早い。
「陣前の敵は、陣からの矢で応戦しろ。両翼へ騎兵を出す。両翼の動きを見出し、総攻撃のタイミングを狂わせる。あわよくば、帰り方、突出した敵の側背を奇襲したいが……欲張り過ぎか……。急げ!!」
 厳しい命令の中に、冗談とも本気とも取れない、軽い言葉を挟んで、首脳部に笑顔を甦らせた。

 両翼へ進撃したカリハバール騎兵は、サリス軍両翼の先鋒に対して意表を衝く、先制攻撃を仕掛けた。
「固い……」
 しかし、サリス軍両翼は、厚い陣形を敷いて、小揺るぎもしない。
 その間、並んだシールドの影から、サリス軍騎兵が飛び出てきて、カリハバール騎兵を迂回して、その背後へと回り込んだ。
「しまったァ!!」
 カリハバール騎兵は、退路を遮断され、完全に孤立してしまった。

「よし、囲んだぞ」
 一方、サリス軍両翼のルグランジェとカルザスは、包囲を完成され、じわじわと締め上げていく。

「開けてくれ!」
 カリハバール兵が、城門に張り付き、必死に叩く。
「ぐがっ……」
 その背後へ、サリス軍主力のリューフ軍の矢が、襲い掛かった。
 この修羅場を眼下に見て、カリハバール首脳陣の顔が、絶望の色に染め上がっていく。
「陣外の味方は総崩れです……」
 参謀が力なく呟く。
「……」
 カラタイ将軍の返事はなかった。
「もうダメだ……」
 目の前で精鋭部隊を失ったカリハバール軍将兵は、顔から血の気を失った。これまでの精神的な疲労もあいまって、士気は一気に低下した。

 そこへ、
「斉射三連!!」
 サリス全軍が、一斉攻撃を開始した。
 矢は、柵を撃ち抜く。次々と兵が倒れて、塔に火の手が上がる。この一撃で、防御線は崩壊した。
「完勝だ。押し出せ!!」
 サリス軍が殺到する。

「よもやこうもあっさり破れるとは……」
 カラタイ将軍は、急ぎ階段を下りていた。その背後に一人の参謀が続いている。
「少しでも時間を稼ぐ。その間に、一人でも多く撤退させろ」
「はっ」
 階段を降り切ると、土間になっていた。そこに、騎兵一個大隊が、準備万端整い、待機していた。
 カラタイ将軍は、副官から兜を受け取り、騎乗すると、さらに長槍を構えた。
「御武運を」
「うぬ」
 副官の声に、視線を真直ぐ向けて頷く。
「それッ」
 そして、馬の腹に蹴りを入れて、悠然と前進する。

「目指すは、敵本陣。他に目をくれるな!」
 搦め手門から出撃したカラタイは、燃え盛る陣を背景にして、前進を続ける。
「あれは誰だ?」
 勝利を確信して、心に緩みの生じていたサリス兵は、呆然と彼らを見送った。
 しかし、人や馬の死骸、無数の矢や槍が落ちた、混戦の傷跡を越えると、リューフ軍精鋭の騎兵が、万全の態勢で待ち構えていた。
「怯むな!!」
 カラタイは、前傾姿勢を深くした。
 両軍は高速で交差すると思われたが、カラタイは、突然、騎兵を直角に曲げて、リューフ軍騎兵の前を横切る。そして、その先頭に向かって、扇状から矢を射浴びせかけた。
 リューフ軍騎兵は、一人ひとりと先頭から討ち取られていく。
「残敵に構うな!!」
 指揮官を失ったリューフ軍騎兵は無様に立往生し、その側面をカラタイは掠めるように過ぎていく。
 そして、正面に、山のような存在感を発する男が現われた。近付くと、彫りの深い顔にブラウンの髪と瞳を持つ巨漢だと分かった。
「あれか?」
 呟いた時には、目指すオーギュストではない事に気付いたが、同時に、一切、心にこだわりはなかった。死に場所に相応しい相手であることは、見た瞬間に分かっていた。
 カラタイは呼吸を整える。刹那、これが最後の息であろうか、と殊勝な事を考えて、思わず自嘲した。
「参る!」
 勢いよく、衝きかかる。
 リューフも愛馬を前進させる。青竜偃月刀を地面すれすれに走らせて、すれ違いざまに、尋常ならざる速さで、空を切り裂き、カラタイを薙ぎ倒していた。
 勝負は、まばたきする間もない一瞬の出来事だった。しかし、その一瞬に、繰り広げられたかけ引きは、さすがに一流の武人と呼ぶに相応しいものだった。馬の頭を左右に振り、槍先を上下に動かし、さらに視線を逆に向けたりした。
 だた、リューフはどれにも惑わされることなく、ただ己の一撃にだけ集中した。
 カラタイの死後も、尚、カラタイの部下達は、抵抗を続けたが、皆壮絶な戦死を遂げる。
 こうして、追撃戦は終わった。


続く


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